はじめに
「住み慣れた自宅で、最期までその人らしい生活を送れるような在宅医療サービスを提供したい」。この理念を実践するために、私は東京と宮城県石巻市で在宅医療クリニックを経営するかたわら、縁あって昨年シンガポールでも同様のサービスを立ち上げ、当地の高齢者に向けた在宅医療サービスを始めました。
アジアは高齢化が急速に進むと見込まれています。日本はすでに人口の4人に1人以上が高齢者という「超高齢社会」です。しかし多くの高齢者が自宅での療養や介護を望み、また国も医療費削減のために在宅医療の普及を政策的に進めようとしているにもかかわらず、在宅でのサービス・供給は圧倒的に不足しています。また、ここ10年でシンガポールも高齢化率は23%を超え、日本に匹敵する程の超高齢社会になると言われています。
私は、患者さんとご家族に寄り添う在宅医療サービスのシステムを通して、日本とシンガポール、そして高齢化が進むアジアの周辺国でも、多くの人の「最期の時間」をより豊かなものにしていきたいと願って活動しています。
挑戦から次の挑戦へ
私は医学部と大学院を卒業後、大学病院で循環器内科医として心臓カテーテル治療を専門とし、その後宮内庁で天皇皇后両陛下の侍医を2年間務めさせていただきました。そのころから私は、より大局的に国レベルで日本の医療、中でも未曽有の高齢社会の課題への糸口を探りたいと考え始めました。そしてまた、今までとは異なる角度で問題解決にあたる必要を感じていました。そこで医師としては異例な転職でしたが、病院を辞めてマッキンゼー・アンド・カンパニーに移り、2年間コンサルタント業務に従事したのです。
マッキンゼーでは論理的思考や問題解決方法などとともに、医者の仕事の枠を超えた世界で自分の能力が通用するという自信をつけられたことが何よりの収穫でした。また、自分の利益のためではなく「社会をより良くしたい」という高い理想と目的意識を持つ同僚たちから大いに刺激を受け、改めて自分が医療の分野で果たすべき使命を自問するようになりました。
新しいことにチャレンジしていく私の原動力は、「いつもわくわくしていたい」という気持ちです。1年後の自分の姿が見えているのはつまらないですし、不確実性は増しても、新たな壁を乗り越えて前に進んでいる、と実感したいものです。また、過去の経歴を見て評価されることがありますが、自分で「あの時が一番良かった」と思うことはありません。そう思ってしまうと、その後の人生が惨めなものに感じられてしまいますし、いつも心から「今が一番良い」と思えるようにしたいと思っています。
治す医療から、寄り添う医療へ
病院勤務をしていた時、自分が治療を担当した患者さんを退院後にご自宅にお見舞いに行くことがありました。その時に、受けたショックを忘れません。その患者さんは病院で命が助かって自宅に戻られたのに、寝たきりになって薬も飲まずに、ひどく散らかった部屋の中で横たわっていたのです。これは特別な例ではありません。家族に介護力がない場合、自宅で充分なケアが受けられず、生活が立ち行かなくなってしまうケースが多いのが現実なのです。この時、医療には「病を治す」という大切な役割とともに、「患者さんの人生に寄り添う」というもう一つの大切な役割があることを強く認識し、私を在宅医療の道へ向かわせた大きな転機となりました。
世界一の長寿を誇る日本では、人生の「長さ」だけではなく、「質」が重要な課題となっています。病院では、起きる時間や人と会える時間など、さまざまな制約がありますが、自宅では比較的自由に生活できます。少しでも自分らしく生活することで、「生きていることが楽しいから、生きている意味がある」と心から感じられるのだと思います。
2010年に東京文京区で開業した在宅医療診療所祐ホームクリニック(11年に医療法人化)では、同じ志の仲間に恵まれ、「在宅は難しい」とされていた末期がんなど重篤な患者さんにも、専門医、看護師や薬剤師などからなる医療スタッフがチームを組み、緩和ケアも含めて継続的な在宅訪問診療を行っています。ITシステムの導入によりチームの情報共有などの効率も向上し、医療スタッフが出来るだけ本来の業務に集中できる体制も整えられました。
開業した翌年の2011年、ようやく東京での体制が軌道にのってきたころ、3月に東日本大震災が起こりました。5月に被災地を視察したところ、医療施設は津波で流され、お年寄りや介助が必要な人が避難目指している自分が、この危機的な状況を知りながら何もしないことは信念に反するのではないかと思いました。そして、この避難所が解散する前に地域医療の受け皿を作らなければ、と急ピッチで準備を進め、4ヵ月後の9月に石巻市に祐ホームクリニック石巻を開設しました。地域の病院や介護サービスなどとも連携しながら、在宅ケアができるようになったのです。
こうして、日本では東京3ヵ所と石巻1ヵ所の計4ヵ所を拠点に、現在30名ほどの医師を含む100名のスタッフで約900名の患者さんに在宅医療を提供し、年間約160名の患者さんが自宅で家族に見守られて最期を迎えています。
被災地 宮城県石巻にて、在宅診療時の様子(2012年11月撮影)
新しい在宅医療を日本から世界へ
シンガポールでは65歳以上の高齢者の数は13.1%で日本と比べてまだ低いのですが、人口統計的にはすでに立派な「高齢化社会」です。男女の平均寿命は83歳で日本につぐ2位、また合計特殊出生率は日本の1.4を下回る1.3と世界最下位で、急速に高齢社会へと変容していく傾向にあります。
当地ではこれまで在宅医療サービスがほとんど無かったので、「在宅医療(ホームケア)」の概念自体がまだまだ理解されていません。とはいえ、伝統的に老親やお年寄りを家族が大切にする教えも根強く、在宅医療のニーズは非常に高いと類推されます。当クリニックの患者さんも着実に増えており、現在は看護師による訪問看護を中心に約50名の患者さんに在宅医療サービスを提供しています。
父とのかかわり
私が医者を目指す原点となったのは、6歳の時に親に連れられて見た「野口英世展」でした。「努力の人」である野口英世の「誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ」という言葉に心を打たれ、病気の人を救うという仕事にも憧れを抱きました。
将来医者になるために中学受験をする、と決めた私は、小学校時代は友達と遊ぶこともほとんどせず、ひたすら勉強していました。父は大学の教授で、よく家で読書や執筆をしていましたが、毎日勉強する私の傍にずっとついてくれ、家庭教師のような、勉強仲間のような存在でした。中学受験当日、待合室で試験問題に取り組んだ父が解けなかった算数の問題を、「僕は、それ解けたよ」と伝えたとき、父を超えられたという嬉しさが込み上げたものです。今思えば、負けず嫌いだった私にとって父のような競争相手が身近にいたことは、大きなモーチベーションになっていたようです。
私自身は二人の小学生の父親ですが、週末には必ず、かつて父がしてくれたように子どもたちと一緒に勉強しています。私は文学者の父とは異なる医学の道に進みましたが、今も父の人生を見てわが身を振り返ります。息子と娘が将来どんな分野に進んでも、親子で互いを尊敬し合うような、自分と父のような関係になりたいと願っています。
型にはめないで
今の子どもたちが大人になるころには、今とは全く違う世界観になっているはずです。医療の現場では、診断技術は人工知能が人間よりも正確になり、手術もロボットの方がうまくなっていくでしょう。これからの人間に必要な能力は、まったく別の分野の何かと何かを組み合わせることで、今までなかったものを創り出すような柔軟でイノベーティブな思考や、さまざまな人の意見や情報を俯瞰して取捨選択しながら、求めるものを作り上げていくようなスキルだと思います。不測の事態が起きた時に対応できるレジリエンス(しなやかさ・精神的回復力)などもますます大切になってくるでしょう。
このような時代に生きる今の子どもたちには、従来の型にはめるのではなく、「自分の頭で考えること」「自分で決めて、決めたことはやり抜くこと」の大切さを伝えたいと思います。新しいことにチャレンジすることを好み、壁にあたっても「正しいことをしていれば、必ず道が拓けてくる」という正論と自分を信じて、努力してほしいと思います。
私はこれまでたくさんの失敗や挫折を経験しましたが、それらは次の行動へのきっかけであり、「何もしない」という大きな失敗を避けるためのものだったと解釈しています。そういう意味では、一つの尺度だけで子どもの失敗を「失敗」という型にはめるのではなく、より広い価値観、広いフレームワークの中で、今やっていることの意義を伝えておいてあげることも大切ではないでしょうか。
※2016年3月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。