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専門家の声 Specialist

この人からエール

立命館アジア太平洋大学 学長 是永 駿 氏

2012.03.23

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海外で育つ子どもたちはどのように未来へ向かって歩んでいけばよいのか、親が出来ることとはいったい何なのか。専門家から進路や将来を見据えたアドバイスをいただきます。

はじめに

 昨年12月にシンガポールを訪ねました。APU(立命館アジア太平洋大学)とナンヤン工科大学との共催で、国際会議を開かせていただいたからです。“Engaging the United States :Asia-Pacific Responses”というテーマで駐シンガポールの各国大使や研究者をお招きして、活発な議論が交わされました。これからは、対話の時代、対話による交渉で紛争を解決する時代で、人間も進化しなければなりません。いつまでも武器をちらつかせて権益を言い立て覇権を唱えるのは愚かなことです。人類は15 ~ 17世紀に「大航海時代」を経験しました。その例にならえば、21世紀は「大交渉時代」の幕開けと言えるかもしれません。タフな交渉に堪えうる人材の育成に各国とも力を尽くす、そういう時代に私たちは生きています。

対話の時代に生きる

 対話はもちろん言葉で行われます。手振り身振りの身体言語で抽象度の高い思想を表すことはできません。発声される物理的な音声が、人間の持つ最大の伝達手段です。言葉の壁を越えることが人間の対話には必要不可欠です。母国語のほかに何か外国語を修得するということは、教育機関であれ家庭であれ、学ぶ条件と意志とがあればどこでも修得できます。言葉を究めるとなると、話は別で、たとえば中国語を究めようと思えば、文言と白話(話言葉)の両方に通暁し、古典の『論語』や『史記』を文言で読み、『紅楼夢』は白話体で書かれていますから、白話体ですらすら読める、という次元まで究めることが求められます。そこまで究めれば対話も相手の文明、文化の奥深くへと分け入ることが可能となり、心肝合い照らす対話が生まれます。しかし、その場合は相手にもそれなりの日本語、日本文化への造詣を求めることになりますから、実際には容易ではなく、ひとつの理想として真の対話はそうありたいと思っています。

 アジアの支配的な言語は英語と中国語になりつつありますが、それぞれ今のところ、世界最強最大の言語ですから、近未来の支配的言語はそうなるでしょう。そこへなんとか日本語も加わってほしいと願っていますが、言語も政治・社会の趨勢と無縁の存在ではないどころか強い関連のもとで存在していることは、清朝を樹立した満族の満州語が今では絶滅に瀕していることを見れば明らかです。日本語・日本文化圏の発展を祈るばかりですし、その発展に少しでも尽くしたいと願っています。シンガポールはこの英・漢二言語が日常的に使用される環境にあり、グローバル化の進む現代にふさわしい言語環境に皆さんは生きているわけです。

 多言語スキルを身につけても、異文化への対応力や理解力がなければ、宝の持ち腐れです。そうした対応、理解は自分自身の言語、文化への深い理解があってはじめて可能になります。自分が何者でいずこから来ていずこへ行くのかを知らずして、他者を理解することなどありえないのです。人や物が移動し、情報は瞬時に世界を駆け巡る、何事も地球規模で動くのがグローバル化なのですが、そうした動きの中にいる人間自体は自らの存在を深く知る、再認識する必要があるのです。自分自身が多国籍化、あるいは国籍を超えるという意味でメタ国籍化していることを発見することもあるでしょう。自分の内的世界こそが探求すべき異文化ワールドであったりしますが、そうした自己探求をグローバル化は求めているのです。そうしなければたちまち根無し草(デラシネ)になって浮遊するクラゲ状態になってしまいます。

シンガポールから日本へ

 シンガポールから日本への帰途は深夜便でのフライトでした。超高空を飛ぶ窓から見る夜空には眼下に星が瞬いているという、不思議な空間を飛び続けてやがて日本の島々が見えてきます。水の惑星とも呼ばれるこの青い地球の、海面のところどころに張りついたように現われる陸地、しかしそこが私たち人間が生きる土地なのです。国境がどうの、何々島、何々群島がどうのと争って生きている人間の世界です。人間は20余年にわたって教育を受けなければ一生をまともに送れないという生物でもあります。シンガポールで教育を受ける、それは現在のグローバル化した世界では恵まれた環境での教育ということになりますが、仄聞するところでは、選抜のプロセスは厳しく、人間を早期に選別してしまう傾向も見られるようです。知的集積度の高い土地はそれに見合う厳しい知的階層構造を生み、競争原理が強く働く好例です。宿泊したホテルからの眺望は、灯りを散りばめた大小さまざまな建物の向こうに森が広がり、その森の向こうにまたかすかな灯が点々と散り、さらに森が広がり、その森と天との境に一ヶ所、ほんのりと輝いている場所がある、という幻想的な風景でした。その光が大地の底から湧き上がる再生の、人間の進化の光であってほしいと思いました。

シンガポールで暮らす日本人ご家族の皆さんへ

 私はふだん、自分が生活している所が世界の中心だ、くらいに思って生きている方が精神衛生上よいのではないか、と思って暮らしています。世界はますます多元化、多中心化していくでしょうし、各国の権益をめぐる軋轢(あつれき)も強まるでしょう。中国とアメリカという二つの大国の谷間に位置する日本(日本は太平洋上に広大な領海を保有しており、ある部分ではアメリカと海上で国境を接しています。中国との軋轢はご存知のとおりです)は、否応なく周辺諸国との平和的共存を模索していくことになります。そのときの心構えとして、自国が中心に位置するくらいの気持でいるべきなのです。日本自身が経済重視でやってきた国なので、他国に経済的に優位に立たれると自尊心が傷つくのか、行動も迷走気味に目に映ります。

 しかし、深い文化史を持ち、日本語・日本文化圏は強力な文化圏を構成しているのですから、自信をもって相対すればよいのです。そして対話を通してもうひとつ高い次元の着地点を探すことに努める、そこにこそ現代に生きる私たちの尊い使命があります。APUには80カ国地域から学生が集い、教員も45%が外国籍です。学生たちは自分が育った国を中心にものごとを考えます。しかし議論、対話を積み重ねていくうちに、自己と他者という、おそらく現代世界でもっとも大切な認識を手に入れることになります。

 我々日本人の地理感覚は、たぶんに小学校以来見慣れてきた世界地図に影響されています。第二次大戦に敗戦した日本は「極東裁判」で裁かれましたが、その「極東」という感覚は、太平洋が真ん中に位置する世界地図では分かりません。東の端、というのは大西洋が真ん中に位置する地図上での話ですから。南北も一度ひっくりかえして見てみる、そうすれば、この地球上、自分が生きている所を中心と見て暮らすのが一番理にかなっていると思えてきます。シンガポールを中心に世界地図の位置を書き換えてみることをお勧めします。海外で暮らすことはとりもなおさず、自己と他者との境界で暮らしていることですから、同質、異質というものに対する感覚が自然と鋭敏になります。同じアジアの地平に暮らすといっても、言語も文化史も違っているわけですから、違っていて当たり前、その異質なものと向き合うことからひらめきは生まれると思います。

※本文は2012年3月23日現在の情報です。

「この人からエール」バックナンバーはこちら

https://spring-js.com/expert/expert01/yell/

是永 駿 氏

1943年9月福岡県生まれ。
1966年大阪外国語大学中国語学科卒業、同大学院修士課程修了。
大阪外国語大学教授、1997年博士課程設置と同時に博士指導教授、2003年3月から2007年10月まで大阪外国語大学長を務める。
2008年4月より立命館アジア太平洋大学教授。同大学孔子学院長、副学長を経て、2010年1月より現職。

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