海外生・帰国生へのヒント
早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科(EDESSA) 3年  倉橋 勇太朗さん「自分を創り上げる二つの母国」

シンガポールで生まれ育つ

私はシンガポールで生まれ育ち、幼稚園から高校3年生(G12)までインター校に通いました。インター校を3回転校したのは、通学やカリキュラムなど常に両親が私にとって一番良い選択をしてくれたためでした。

物心ついた時から友人との会話は英語だったため、日本語よりもむしろ英語の方が身近に感じていました。小学1~6年生までは、日本語を保持するために毎日家で音読と日記を書くことが課題でした。キッチンに座って音読し、日記を書くと母がチェックするという日々でした。これが終わらないと外へ遊びに行くことは許されませんでした。その時は本当に大変でしたが、やらないという選択肢はありませんでした。さらに、せっかくシンガポールにいるのだからと、中国語も学んでいました。こちらは学校での学習の他に、週2回家庭教師に教わっていました。途中本当に大変で、いつまでやれば良いかと父に相談したりもしました。「HSK※の6級をとったらやめても良い」というので頑張りましたが、6級が一番上の級だとは、そのときは気づいていませんでした。今は英語、中国語、日本語を使えるようになれたことを、両親に心から感謝しています。

※中国政府認定の中国語資格(Hanyu Shuiping Kaoshi)

インター校の友人とオーストラリアへの旅 インター校の友人とオーストラリアへの旅

考え抜いた選択と日本での学生生活

高校卒業間際まで悩んだのが、その後の進路でした。イギリスの大学に進学するという道もありましたが、生れも育ちもシンガポールの私が、やはり日本人としての自分を探し、社会人になる前に母国をもっと知る必要があるのではないか、と強く思うようになりました。政治経済に関心を持っていたので、自分の専攻したい学部を考慮した上でも、日本の大学へ進学することが最良の道と決断しました。

はじめて送る日本での生活に、最初は戸惑うことも多くありました。同じ日本人でありながらも共感できる価値観が違い、なかなか自分の世界が広がりませんでした。入学当初の半年は同じ境遇の留学生との交流が大半をしめており、日本生まれ日本育ちの友人はとても少なかったです。今ではさまざまな友人ができ、充実した学生生活を送っています。

現在国際学生寮で生活をしていますが、寮は大学とは違い、たくさんの人はいるものの、アットホームな雰囲気でとても落ち着く環境です。通常、この寮には2年生までしか在籍できませんが、今はレジデンス・アシスタント(学生寮長)という役割を担って寮生活を続けています。責任感が増しただけでなく、世界各国から来るさまざまな学生たちの対応を任されることが多いため、今までシンガポールで受けてきた異文化経験や交流の体験が大いに生かされていると感じます。

将来の夢

私の将来の夢は、人生の最期に振り返った時に「世界に何か良い変化をもたらすことが出来たな」と実感できる職に就くことです。そのために、今は外交官になりたいと思っています。もともと、異文化、言語などに関心があるので世界を舞台とする外交官として各国と友好関係を築き、より良い世界に貢献したいと思っています。

シンガポールで生活するみなさんへ

海外日系人大会にて岸田外務大臣と 海外日系人大会にて岸田外務大臣と

日本での生活は、表面的に見ると満員電車や日々の生活がせわしく、シンガポールの方がゆったりとした生活を送れていたと感じます。しかし、この日本での生活は私に新しい刺激を与え、日本とシンガポール「二つの母国」を知るという大切な体験でもあります。日本についてより深く知ることができ、日本でしか出来ない体験をますます重ねることで、私の視野・世界は間違いなく広がっています。

シンガポールを出たことで、どれだけ多文化、多宗教でいろいろな経験ができる国であったのかを再認識することもできました。環境が変わったばかりの時は戸惑うことが多いかもしれません。しかしその時の苦しみや体験こそが「自分」というものを創り上げ、将来につながるのだと思います。

世界にはさまざまな人がいて、いろいろな生活をしています。人生の節目で他の国に飛び出し新しい体験をすることはとても有意義なことだと感じます。日本からシンガポールへ来て学んでいるという方にはぜひ、大学進学を機にまた他の国へ行くことも視野に入れていただきたいと思います。

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『海外生の今』バックナンバー
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