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みんなが知りたい!「バイリンガル」の育て方 ~体験者がリアルに語る、当時そして今~

2016.09.23

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エジンバラ大学 博士課程
窪田 麻希さん

エジンバラ大学 博士課程 窪田 麻希さん

エジンバラ大学 博士課程 窪田 麻希さんの経歴

日本語維持のために

父の転勤のため渡米したのは、小学1年生の時でした。はじめの1年間こそ英語で苦労したものの、その後は現地校でも不自由がなくなり、むしろ日本語を忘れずにいることの方が大変でした。家庭では必ず日本語を使うこと、週末の補習校はお稽古や遊びよりも優先して通うことなど、家族には日本語を失わないための明確なルールがありました。 補習校の沢山の宿題をこなして大変だったことも、日本帰国後の大切な下地になったと実感できます。

2つの文化の狭間で

アメリカの生活を家族ぐるみで心から楽しんでいましたが、小学6年の夏には父の駐在が終わり帰国することになりました。英語を続けるためには私立中学が良いだろうという両親の助言もあり、地元の私立中学に入学しました。ところが、英語は取り出し授業などがなく、英語の授業中は先生に当てられることもなく、自分一人違う勉強をしていても許される状況でした。

入部したバスケットボール部では上下関係が厳しく、ある時は部員一人がしたことで 連帯責任を取らされ驚きました。先生には「納得できない」と反発したこともありました。今でこそ、欧米の個人主義と日本の全体の和を重んじる文化の違いだったと理解できますが、当時は「もしかしたら日本は私に合わないかもしれない」と感じたのを鮮明に覚えています。

自信を失った「英語力」

高校生の時、「もう一度北米へ行きたい」と言う気持ちが募り、今度はカナダの公立高校へ単身留学することになりました。中学時代は「英語が得意な生徒」としてイベントや留学生のお世話などにも積極的に関わることがありました。しかし、カナダの高校では、武器であったはずの英語が通用せず、私の中の自信がガラガラと音を立てて崩れていきました。「辛いときは必ず家族へ電話する」、そう決めていたので、母には何度も国際電話で泣き言を言いました。母からは「自分で決めたこと。最後まで頑張りなさい」と叱咤激励され、何とか奮起し猛勉強しました。最終的には 飛び級まで認められ2年間でカナダの高校を卒業できました。達成感はありましたが精神的に相当辛い日々でもあったので、自分を見つめ直すためにも、家族のいる日本へ帰国することを決めました。

研究者の道へ

その後東京の国際基督教大学(ICU)に進学することになり、留学生や帰国子女が多い環境で、ようやく私らしくいられる場所が見つかったことを喜びました。 大学ではご自身も帰国子女である教授と出会い、言語教育の研究者こそ私の生きる道だと気づきました。1年間の交換留学ではスウェーデンを選び、日本語教育も学び、その後オックスフォード大学、エジンバラ大学へと進学しました。

私の一貫した研究テーマは「母語獲得と第二言語の喪失」です。日本と外国を行き来した自分や家族が、もし専門家のアドバイスを得ていたなら、また違う道、違う体験があったかもしれません。 私と同じような思いをしている海外生・帰国生たちの言語習得と喪失のプロセスを科学的に明らかにすることで、実践的な対処方法を打ち出したいと思っています。

海外生・帰国生の皆さんへ

私が帰国した学校には英語の取り出し授業がなく、その後の留学ではブランクの大きさを痛感しました。帰国の際には、英語の取り出し授業がある学校や、居場所を見つけられやすいように多くの帰国生が通う学校を選ぶことができたら理想的だったと思います。

現在私は帰国子女35名にご協力いただき、母語や第二言語に関する調査を行っています。研究結果を広く活用していただけるように頑張りたいと思います。

「第二言語の喪失」とは?

完全にその言語を忘れてしまうことではなく、頭の片隅にあるはずのことが思い出せない状態を言います。

① 流暢さが失われる
  例)「あー」「うー」などの言葉が良く入るようになる
② 語彙が出てこなくなる
  例)知っていたはずの言葉が思い出せない
③ 文法が出てこなくなる

帰国後に英語(=第二言語)を忘れないためには?

とにかく、本を読むこと。その言語を日常で使えない状態でも声に出して本を読むことなどが有効。

もう一言

父は、好きな道に突き進むことの大切さを説いてくれた。

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