海外生・帰国生へのヒント
Pathways World School Grade7 山田 あかりさん「親子でいいところ探し」  母 山田 典子さん 談

シンガポールで生まれて

 シンガポールで生まれた後、2 歳からナーサリーにお世話になりました。スクールバスに乗る我が子に泣かれて「まだ早すぎたかな・・・」と自己嫌悪に陥ったこともありましたが、温かく見守って下さるシンガポール人の先生、当時常駐していた日本人の先生のお陰で徐々に園にも慣れていきました。気の合う育児仲間とも出会い、こうして海外でたくさんの人に助けられ親子ともに育てられているのだな、と実感していました。

 小学校入学にあたり、せっかくの海外生活で言葉だけでなく国際感覚を身につけて欲しいという願いから、インター校を選びました。学校以外に国語は補習校に通い、算数は自宅で私が教えました。それ以外にはそろばん、水泳、ピアノなども習っていました。

シンガポール自宅にて

 

日本での貴重な4年間

 日本へ帰国することになった時は、もう少しインター校へ通わせたい、とがっかりしたのが正直な気持ちでした。でも今から考えると大変貴重な4年間だったと思っています。あの時日本に帰り、日本の学校で学んだことで日本語の基礎ができ、「自分は日本人であり、日本が好きだ」と本人自身が自覚できるようになったからです。

 日本での学校選びに際し、学校より地域選びを重視しました。まずは主人の勤務地に至便な地域を選び、安全な通学路や遊び場・図書館の有無、地域住人の様子等をもとに決めました。地域が良ければ、そこにある公立学校も良い学校であると思ったからです。実際、帰国後通った学校では良い友達や先生方に恵まれ、大変楽しい学校生活を送ることができました。

 学校生活は低学年であったこともあり、勉強面も含め比較的すぐにとけ込むことができました。美味しい給食や、放課後に友達と公園や児童館へ遊びに出かけたことも新鮮な体験でした。小学校には外国籍のクラスメートが何人かいました。フィリピン人の女の子が編入して来た時には、先生に頼まれて彼女に英語の通訳をしてあげたそうです。英語が話せることをお友達も先生も良い方向に受け入れて下さり、帰国子女として嫌な経験はありませんでした。大変有り難いことだと思いました。

 英語については、英語保持教室に週1回通って英語力の維持に努めました。

今だからこそ一家でインドへ

 中学への憧れが芽生えてきた小学6年生の時にインド行きが決まり、本人はとてもショックを受けていました。私自身は今の時期だからこそ、家族揃って移動できる最後のチャンスだと思い、子供には特に媚びたりすることなく「お父さんの仕事だから、とにかく家族で行くよ」と伝えました。未練があった本人も「 海外に行くなら学校はインターがいい」と言い、最後にはお友達と笑顔で別れることができました。

 ニューデリーには日本人学校もありますが、 親子とも海外ではインター校を希望していたため、ローカルのインター校に通うことにしました。 9割はインド人の生徒ですが、海外在住経験のある生徒が多いのが特徴です。

 インドに来た当初は4年間の英語のブランクが心配でしたが、2 ~3 ヶ月で英語にもすっかり自信がついたようです 。現在は日系の塾で国語と数学を学び、ギターを習ったり、学校ではオーケストラにも参加しています。 週末には友達とモールに買い物へ行くこともあります。 学校でもそれ以外の場でも充実した生活を送っており、何よりインドでの生活を楽しんでいることを大変嬉しく思っています。

 

研修旅行で友人達と

 

シンガポールの皆さんへ

 私はシンガポールで二人の子供の出産・育児を経験しました。便利な点はありましたが、主人の長期出張が多く、精神的に大変な時もありました。在星中のお母様方にとってご自身が体調を崩すことが一番怖いことだと思います。どうぞ、皆さんも無理を重ねないようにして下さい。

 シンガポールの多民族文化を経験したことで、その後のインド文化に対する違和感は自分が想像していたよりずっと少なかったように思います。与えられた環境の中で、良いところを見つけていくことが、その環境に溶け込む一番の近道だと思います。

 異文化や日本での生活を親子でポジティブに受け入れる、そしてダメだと感じることはその理由を考えることで、 親子一緒に新たな価値観を築いていけるような気がします。

 今海外にいる日本の子供達がこれからの日本を牽引し、世界に通じる人材になると信じています。

※本文は2012年6月25日現在の情報です。

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