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グローバル教育

この人からエール

雅楽師 東儀 秀樹氏

2019.09.25

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海外生活の体験を経て雅楽の道に

はじめに

読者の皆さんと同じように、私は海外で子ども時代を過ごしました。商社勤務の父の仕事のため1歳から7歳まではバンコクに、11歳から12歳にかけてはメキシコシティに滞在しました。タイにいた時は、住み込みのお手伝いさんに連れられマーケットに行き、一緒に現地ならではのものを口にし、子どもながらに現地の人々とコミュニケーションをとっていました。お手伝いさんとはタイ語で、幼稚園では欧米からの子どもたちと英語で、家族とは日本語で話す生活でした。多感な子ども時代に、何の先入観もなく現地の空気感を味わい、さまざまな言葉や文化に触れて育ったことは、その後の私の人生に大きな影響を与えてくれました。特に「否定せず、何ごとも試してみる」、「さまざまなことに柔軟に向き合う」という生き方は、古来からの雅楽と現代の音楽を結びつけていく幅広い創作・演奏活動に繋がっていったと実感しています。

雅楽師 東儀 秀樹氏

自分の礎を築いてくれた海外生活

雅楽の世界へ目を向けるきっかけは、海外生活と深く結びついています。当時のタイには子ども向けの娯楽が少なく、両親が好きなクラシック音楽や流行していたビートルズに親しみ、映画やミュージカルに出かけることが何よりの楽しみでした。楽器を奏でたいと言えば、日本のように精巧にできたおもちゃの楽器は売られていなかったた
め、両親は本物のウクレレを買ってきてくれました。こうして自然に正しい音程や良い音色に触れることができ、結果的には幼い頃から「本物の音楽」に触れる幸運な機会に恵まれたと感じています。

さらに、その後滞在したメキシコでは、1970年代ということもあり、アメリカの若者たちのベトナム戦争に対する反戦・反体制の影響を受け「ヒッピー文化」が全盛でした。現地では、私自身も髪の毛を伸ばしてベルボトムを履き、ロックの雰囲気を全身で表現しようとしていたものです。

帰国後に中学2年で編入した私立校には国際学級があり、同級生にはヨーロッパやアメリカからの帰国子女がいました。「一般的な日本人として振る舞わなければ嫌われる」という雰囲気は全くなく、「自分はこういう人間なのだ」と主張できる環境がありました。その学校で私は、ギターを弾き仲間とバンドを組んでロックやポップス、ジャズなど音楽漬けになったのです。

東儀家は、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが奈良時代から1300年続く雅楽を世襲してきた「楽家(雅楽を伝える家系)」です。雅楽は、日本古来より決められた「楽家」と呼ばれる一族によって、口伝で正確に継承されていきました。その一員であることを意識したのは、高校卒業後の進路を決める頃でした。勉強より音楽に力を入れる私を見て、両親が「雅楽をやってみるか」と助言してくれたのです。普通に考えればロックなどに夢中の高校生に、よりによって日本古来の音楽をすすめるのですから反発しても不思議ではなかったでしょう。まして、伝統ある楽家でありながら、それまでは一度たりともその道に進むように言われたことはなかったのですから、今更、急にその道に目を向けられるはずがありません。しかし、私がすんなりと受け入れることができたのは、やはり海外経験があったから、というところも少なからずあるかもしれません。

皆さんにも思い当たることがあるでしょうが、外国に住んでいると「自分は日本人である」ということが浮き彫りになる感覚を味わう場面がしばしばあります。そして、外国の方が日本のことを誤解していると、どうしても「正しい日本の姿を知ってほしい」と強く思うものです。そのような経験を何度もしていた私は、子どもながらに「自分は日本人として日本の文化を背負っている」と感じていました。そこで、日本の古典音楽である雅楽を頭から否定することは日本人として、ましてや東儀家の人間としてもったいないだろうとも思え、「日本の伝統音楽を試してみよう」と決意したのです。雅楽を伝承する機関である宮内庁楽部に所属するのは、遅くとも中学卒業時点が通例で、高校卒業後に門を叩いた私は年齢を理由に断られてしまいました。しかし、音楽のセンスや身体能力に自信があった私は「試験だけでも受けさせてほしい」と懇願し、その結果、試験官から満場一致で合格を得て、宮内庁
楽部での一歩を踏み出すことができたのです。

日本文化を受け継ぐために

雅楽は、日本固有の音楽が約1400年前から朝鮮半島・中国大陸やシルクロードの芸能に影響を受けて日本で熟成され、平安時代に完成しました。原形のまま存在する世界最古の音楽芸術であり、表現形態としては「管絃」「舞楽」「歌謡」の三つがあります。管弦では「笙」「篳篥」「龍笛」を合奏することで、「天」「地」「空」で構成する宇宙を創ると考えられています。宮内庁、つまり皇居の中という非日常の空間で篳篥や、琵琶・太鼓類、歌や舞、さらには洋楽のチェロも習得しました。雅楽の世界は、何とも言えない不思議な面白さがあります。

日本人として、雅楽をはじめとする日本文化をしっかり次の世代に継承したいという思いは強くあります。しかし、「雅楽を学びなさい」とお子さんたちに押し付けるつもりはありません。私はいくつかの大学の招聘教授を歴任しており、雅楽について中高生に講演する機会も多くあります。そのような場合は、まずは10代に適した「ワクワクした感覚」を感じてもらうことを心がけています。私の奏でる楽曲で人気アイドルと共演したエピソードなどを導入しながら、雅楽や日本文化に少しでも関心を寄せてもらい、もっと知りたいと感じてもらうことが何より大切だと思っているのです。

私は雅楽の演奏の場には、時間が許す限り息子を連れて行きます。かつて両親がそうであったように、息子に雅楽の道を強いるつもりはありません。しかし、日本の文化や音楽、そして人生観について、実際に近くで観て感じることで好きな入り口を自分で見つけ、「教えられる」のではなく、自ら「感じとって」ほしいと思っているからです。

雅楽師 東儀 秀樹氏

「壁」はがむしゃらに登らない

今までの人生で「困難にあった時、それをどう乗り越えますか」、と訊かれることがありました。実のところ私は、大きな困難に遭遇したという自覚がありません。実際には遭っているのでしょうが、元々の性格からそう感じないのでしょう。25歳の頃、癌になって余命が長くないと診断されたことがありますが、その時でさえ、恐怖心を抱くことはありませんでした。当時は「時間は戻らないのだから、とにかく今のこの瞬間を悔いなく楽しもう」とだけ考えていました。長さに関係なく、短い命でも死ぬまでワクワク生きれば満足して死ぬことができるだろう、という感覚でした。幸いにも癌は進行せず、その後は健康に恵まれています。今年還暦を迎えますが、現状で満足せずに「もっとすごい自分に会いたい」「自分の未知数を知りたい」という好奇心と欲望は、今でも尽きることはありません。

自分の目的を阻むような「壁」に当たった際、よく人はそこで悩み、何とかその壁を超えなくては、とがむしゃらに頑張るようです。しかし私は違います。楽天的なのでしょうか、壁らしきものが現れたら無理にその向こう側に行こうと考えず、「壁があるのだから右へ左へ回避しよう」、「あるいは引き返そうか」と考えるのです。本当に壁の向こうに正解があるかどうかは誰にもわからないのですから、色々な道を試す方が本当の自分に合う道を選べると思うのです。引き返して道を変えることも大きなチャレンジです。「壁」にしがみつかず、引き返すことに罪悪感を感じる必要はありません。なぜなら、それまで来た道のりは必ず今後の「糧」になっているからです。

海外で暮らすご家族へのメッセージ

海外の生活では、「次元が違うこと」がたくさんあると思います。「あの国は本当に酷かった」などという当時の苦労話も、時間が経てば笑い話になり、その国への愛着へと変化していくことでしょう。皆さんにはぜひ、その「次元の違い」を海外滞在中から面白いと感じ、海外生活を楽しんでいただきたいと思います。

また、「二度と戻ってこないこの時」を自分の胸に焼き付けることもおすすめしたいです。私は、世の中の全ては「巻き戻せないこと」だらけだと思っています。子育てを振り返ると、子どもの表情や声、手を繋いだ時に子どもがぴょんぴょん飛び跳ねる振動など、全ては成長とともに移りゆく「一瞬限り」のものです。皆さんの海外生活も同様で、人生において二度とない貴重な一瞬の連続であるに違いありません。ぜひ現地の空気感を味わいながら、大切に過ごしてください。

『この人からエール』バックナンバーはこちら
https://spring-js.com/expert/expert01/yell/

東儀 秀樹(とうぎ ひでき) 氏

1959年東京生まれ。

父の仕事のため幼少期を海外で過ごす。

成蹊高校卒業後、宮内庁楽部に入部。宮中儀式や皇居での雅楽演奏会および海外公演を行うほか、2000年「TOGISM2」で日本レコード大賞企画賞を受賞。

以降9度にわたり、ゴールドディスク大賞 純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。著書に「東儀家の子育て 才能があふれ出す35の理由」など。

今年で6年目を迎える東儀秀樹×古澤巌×cobaによるユニットTFC55の全国ツアーが今年8月よりスタート。

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