「リベラルアーツ」が目指すもの
はじめに
「学ぶ」とは人生においてどのような意味を持つのでしょうか。私にとって「学ぶ」とは、自分の世界観を広げて生きる道を探究していくことであり、それはより良い人生を歩むために必要不可欠なことだと考えています。私の場合、高校時代に愛読した翻訳版のフランス文学を、大学に入って原文で読めるようになったことがすべての出発点になったと感じています。フランス語の美しさ、フランス文学の素晴らしさに大いに感銘を受け、フランス語という自分にとって新しい言語の枠組みの中で、かつての賢人たちの教えに触れることができました。フランス文学には、真実を追求する姿勢と権力に対して風刺し笑い飛ばす批評精神が共存しています。この二つの視点は、私の生き方を決める指針になっていったのです。
また、人との出会いも自分の世界観を広げてくれます。若い方であれば、進学先や社会に出てから多くの出会いがあります。人生が根底から変わるような素晴らしい出会いもあるでしょう。私は学生時代に、下宿先でドイツ文学を専攻する大学院生と親しくなり、文学の世界に広く目が開かれていきました。さらに日本を代表する音楽家の三善晃氏に師事していた同級生が、音楽家を目指しながらも音大には通わず、東京大学で文学や思想を学ぶ姿にも感化されました。後に彼とは音楽と詩の共同作品を発表し、彼の紹介で演出家 故 蜷川幸雄氏の作品でフランス語翻訳
を手がける道が開けました。
私がフランス文学の研究者を出発点に教育者へとなっていったのは、フランス文学の素晴らしさを学生に伝え、その世界観を共有したいという純粋な思いからでした。
グローバルな環境で他者と自分を知る
私が考える「グローバル」とは「多様性の共存」を意味します。つまり、地球上に一つの価値基準だけが優先されるのではなく、「多様なものが一緒に何かを共有する」ことだと考えています。本学で学生生活を過ごしていただければ実感すると思いますが、学内には実に多様な人々が共存しています。教員の3人に1人が外国籍であり、学生は世界50ヵ国から集まっています。その人々と共に過ごし対話を重ねていくと、自然と多様性の意味を実感するでしょう。
人は誰しも独自の価値観や考え方を基準に物ごとを見ています。最近では、これを「無意識のバイアス」と表現することがあります。自分では気がつかない偏ったものの見方が自分の中に形成されていることを意味します。国際的な環境に身を置いて多様な人々と対話することによって、自分自身が偏った価値観や考え方を持っていたことに否応なく気付かされます。グローバルな環境に身を置くことは、他者のことを知るだけでなく、自分自身を再認識することになり、自己を確立していく上で大きな意味を持つでしょう。
「日・英バイリンガリズム」の意義
日本の大学では近年、英語のみで学ぶ大学が増えてきましたが、本学では献学以来、「日英両言語」を公用語としています。なぜ「日・英バイリンガリズム」を重要視しているかと言えば、日本語を母語とする日本人学生たちが「英語という枠組み」で新たな思考に出会うのと同様に、本学で学ぶ多数の英語圏からの留学生と帰国生には、日本語を通じた思考・価値観に触れることで、新たなことを発見してほしいと考えるからです。
一つの言語だけで物ごとを考えてしまえば、思考は当然、その言語の文化に染まります。しかし、二つの言語で考えれば、物ごとを二方向からとらえることで思考の幅が広がります。学生には、単に日本語と英語を流ちょうに話すことだけを目標とせず、思考を広げることで開かれた価値観と生涯学び続ける主体性を育んでもらいたいと考えています。この体験は、「リベラルアーツ」において重要な柱にもなっていくのです。
ICUの「リベラルアーツ」とは
「リベラルアーツ」は、曖昧で理解しにくいと感じる方もいらっしゃるでしょう。「アーツ」とは「学問」、「リベラル」は「自由」を意味します。つまり文理を分断せず「自由に学ぶ」ことであり、さらに「学問を通じて、自分を自由にする」ことを意味しています。
「自由に学び、自分を自由に解放する」学びのスタイルを実践する本学は、最初に幅広い分野を学び、その後に専修分野を決めるという点が特徴的です。ほとんどの大学では、例えば入学前は経営学に関心があると思い専攻したものの、後から社会学を専攻したくなっても、その時点で専攻を変えることはできません。しかし本学では、入学後2年間は専門を決めずに自然科学・社会科学・人文科学という3領域を自らの関心のままに自由に学びます。そして、その後の2年間で真に自分が探究したい分野を31のメジャー(専修分野)から決めていくのです。また、メジャーは一つだけではなく、「ダブルメジャー」として二つを同時に学んだり、「メジャー、マイナー」として複数選択することもできますし、メジャーを決めた後も自由に自分のメジャー以外の授業を履修することができます。学びを通じて自分自身を発見し、追究することができるシステムなのです。
実社会で真価を発揮するリベラルアーツ
対話と批判的思考に代表される本学のリベラルアーツの精神は、キャンパスの至るところに息づいています。授業でのディスカッションをはじめ、さまざまな人と対話を重ねることで、日常でも相手に「それはこの点が問題だ」と率直に意見を交わすことができるようになります。相手の意見が正しいか否かではなく、自分の意見とは異なることを知り、それを受け入れる「他者に対して心が開かれている」姿勢が、リベラルアーツの精神では重要なのです。学生が大きく成長するのは、単に言語そのものや討論のスキルを習得することではなく、課題を解決する「開かれた感性」や「心のあり方」を身につけることだと言えます。
今日、対話が欠如していることで、課題解決が難しくなっている事例が散見されます。コロナ感染対策やオリンピック開催の議論はその一例でしょう。そこには、多くの人々が納得し合意形成へ至るような理想的状況とは程遠い現状があります。一つの視点だけでは複雑化する社会課題を解決することはできません。複数の分野の人々が同じテーブルにつき、知見を融合し最適化する力こそが求められています。そして、この力こそリベラルアーツで育成されるのです。自然科学・社会科学・人文科学の基盤を持つリベラルアーツによって涵養された見識は、実社会でこそ真価を発揮すると言えるでしょう。
海外で暮らすご家族の方へのメッセージ
国際社会では、共同体から異質なものを排除しようとする傾向が顕著になっているように思います。実際に、BLACK LIVES MATTERやヨーロッパでテロが多発したことは、皆さんの記憶にも新しいでしょう。その傾向は、日本では特に強いと感じています。例えば「少子化」についても、労働力が減り税金の負担が増えるといった国益にまつわる側面ばかりが語られ、子どもならではの感性や感覚、いてくれるだけで楽しいといった子どもの存在自体を讃える声は聞こえてこないのが現状です。全てが何かの利益のために必要だという考え方しかないように思え、非常に残念だと感じます。一つの視点で物ごとを捉え、それ以外は排除するという忖度の社会になっていることは、日本が克服するべき喫緊の課題でしょう。
海外にいる皆さまは、滞在期間中は特に語学の習得に励まれることでしょう。皆さんが身につけた言語とその背景にある文化は、大切な「資本」となります。歴史の中で重層化された言語は、単なる道具(ツール)ではなく、世界を捉える感覚や自己のアイデンティティに深く関連しています。自分の中に獲得されたそのような言語や文化こそ、無形の価値として生涯にわたる財産にしていただきたいと思います。
最後に、お子さんは海外で常に多様性に触れ、自由に考えを広げる力を持っていらっしゃると思います。そのような生き方をぜひ大事にしてください。日本の社会に帰ってくると制限を受けるかもしれませんが、変わりつつある日本の社会を、率先してより良く変えていただくことを願ってやみません。
※国際基督教大学(ICU)に関する情報はこちら
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