グローバル教育
シンガポール日本人会 事務局長 杉野 一夫 氏 

海外で育つ子どもたちはどのように未来へ向かって歩んでいけばよいのか、親が出来ることとはいったい何なのか。専門家から進路や将来を見据えたアドバイスをいただきます。

はじめに

 私がシンガポールに来たのは 1972 年。シンガポール人と結 婚して、子どもたちを当地で育て、シンガポールの成長ととも に歩んできました。この 40 年間の思いを教育という視点で振 り返ってみたいと思います。

 当時シンガポールは「西洋と東洋の十字路」と言われていま した。コロニアルスタイルの建物、中国風ショップハウス、イ スラム教のモスクなどがあり、東洋と西洋が融合したエキゾ チックな雰囲気がありました。人々は英語を話しており、遠い 南国の発展途上国に来たという印象はまったくありませんでし た。マレーシア連邦から独立して7年が経ち、まさにこれから のスタート地点で、大変な勢いを感じました。当時約 2,000 人 の日本人がいました(現在は約 28,000 人)。歴史的に日本人に 対する複雑な感情があったはずで心配しましたが、私自身は不 愉快な思いをしたことは一度もありませんでした。恐らくシン ガポールの人々が「未来志向」が強く、気持ちが開かれていた からだと思います。

 ご存知の通りシンガポールは移民国家です。戦後いろいろな 人種がさまざまな理由により移し、「ここは将来に希望を持て る」と信じ、多くの人が定住しました。そのため人々は過去を 引きずらず、未来志向が強いのだと思います。

 「反日感情」について語る人もいます。「Forgive, but never forget」とは、あるシンガポールの政治家が言った有名な言葉 です。「忘れてはいけないが、許せ」といったニュアンスでしょ うか。しかし、シンガポール女性と所帯を持ち、彼らと共に生 きてきた私が確信していることは、シンガポール人の戦争にお ける日本への感情は、「すでに吹っ切れている」ということです。 ちょっとした事件を反日感情の象徴として語ることはあまり適 切でなく、断片的な情報から来る単なる先入観であることが多 いと思います。

 同時にシンガポール人は現実主義的な考え方をします。国家政策についても、シンガポールがいかにして生き残っていくか という視点で、現実的に未来を見つつ対処している様子がうか がえます。戦後、暗い過去の感情に縛られるのではなく、早く 日本と経済関係を回復させる方が得策だというプラグマティッ クな判断が働いたのでしょう。近隣諸国とも現実的に調和をは かりながら「国家」として成長して来ました。さもなければ、 ここまで発展することは難しかったでしょう。

シンガポールの教育 

 私の子どもたちはシンガポールの学校で教育を受けました。 小学校ではまず英語、母国語、算数を中心とした教育を受け、 3 年生になると理科が加わります。中学校から歴史や地理といっ た人文科学が加わり、進路により特別コース、快速コース、普 通コースなどに分かれます。 中学の歴史教科書は、日本がシンガポールを占領し軍政を敷 くに至った、当時の国際情勢や背景の説明があり公平な記述で したが、日本占領時代のことは大変細かく書かれていました。 歴史をしっかりと次世代に伝えていると感じました。子どもた ちは学校で戦争の話などよく聞いたようです。子どもから「日 本人はどうしてあんな悪いことをしたのか」と聞かれたことが あります。かなり複雑な思いを抱いていたと思います。   言語について言えば、1965 年独立当時も中国人、マレー人、 インド人がいて「言語のるつぼ」でした。そのため民族間の共 通語として「英語」を選択せざるを得ませんでした。私が来た 1972年 は、学 校 教 育 は「Chinese Stream」「English Stream」「Malay Stream」「Tamil Stream」の4つに分かれて い ま し た。Chinese Streamの 最 高 学 府 が「南 洋 大 学」、 English Streamは「シンガポール大学」でした。当時の教育は 言語で縦割り制になっており、シンガポールの将来に不適切と 考えたのでしょう。民族間の言葉の中で、国が生き残っていく ためにはどの言語が一番有利か考えると「英語」を共通語とす ることが合理的で、自然に民族間でも合意に至ったと想像でき ます。

 一方、中国系シンガポール人がこの地でシンガポール人であ りつつ華人の考え方や価値観も保持することを理想とした場 合、「中国語」も不可欠です。2 カ国語を学ぶことは大変なエネ ルギーが必要ですが、とても現実主義的な考え方だと思います。

日本とシンガポールの教育の違い

 教育は国の立場により「方針」が変わるものだと思います。 シンガポールは水や天然資源も少ないため、本来国として体裁 を満たす必要条件に恵まれていません。そのため教育のあり方 を考える時は、「英語」で「国際感覚」を身につける制度である 必要があり、教育上大切な点は、「国の経済に貢献できるような 人材育成」です。シンガポールと比較すると日本は大変豊かな 国です。単一民族で皆が同じ価値観を共有しています。この背 景だけ見ても「教育政策」そのものに大きな違いがあるのは当 然と言えましょう。   日本は包括的な教育で科目も多く世界の文化や歴史などの 一般教養に関しては日本の教育の方が優れているのではないで しょうか。シンガポールの学習領域は狭く、低年齢で将来の選 択が迫られます。それぞれの興味を大切にし、一人ひとり違う 能力を引き出すことを重視しているようです。 シンガポールの小学校は 2 部制になっており、「午前の部」と「午後の部」があります。授業は半日で終わりますが、一つの授 業時間が長いため勉強時間はしっかり確保されており、日本の 小学校よりもシンガポールの方が学習時間は長いようです。更 に多くの生徒は半日学校で学び、半日は家庭教師を付けていま すから、一日の学習時間は大変長いといえるでしょう。20 年 程前から全日制に移行する動きがありますが、家庭教師との学 習が難しくなり学力が落ちるという保護者の反対や、多くの先 生が女性のため家庭との両立が難しくなり先生の確保ができな いという問題から、ゆっくりと進んでいるようです。  日本との最大の制度上の違いは、シンガポールでは男子は一 定の年齢に達すると 2 年間の兵役が義務付けられており、国防 の役割を担うことです。それまで小さい頃から成績主義のもと 競争していたわけですが、軍隊に入ると「チームワーク」が求 められます。「誰かが傷ついたら背負わないといけない」といっ た経験を通し連携が生まれ、一緒に訓練を受けたという仲間意 識が芽生えます。精神的にもそれまでと比較にならないほど大 きな影響を受けます。各自が自分の力を国家のためにどのよう に生かして行くのかを真剣に考えるためです。結果的にこの兵 役義務は、「国の経済に貢献できるような人材育成」という国家 の教育哲学を補完しているように思えます。

 

日本人学校について 

 日本人学校は帰国を前提にしているので、その際にスムース に日本の学校に戻れるよう文部科学省のカリキュラムに沿って 教育しています。ただまったく日本と同じ教育ではせっかくシ ンガポールにいる意味が無くなってしまいますから、「日本人学 校の国際化」が大切だと思います。この国や人のことをしっか り学んでいただきたく、その一環として英語教育に力を入れて おり、1980 年代にイマージョン教育を始めました。 欧米人の先生から学ぶことも多いと思いますが、シンガポー ル人の先生から英語を学ぶということは、シンガポール人の考 え、更には食生活や宗教についても学ぶ機会ができることにな ります。それこそがシンガポールでの教育の強い特徴になると 思うのです。「シンガポールにある」という地域性を学校も親御 さんももっと積極的に取入れるべきだと思います。シンガポー ル人が欧米の人に英語を習っていることに違和感はありません が、日本人がシンガポールで英語を勉強するのに、シンガポー ル人から習わないのはもったいないと思います。シンガポール の文化や生活も学べる良いチャンスではないでしょうか。

海外で暮らすご家族へのメッセージ

 日本人がシンガポールで学ぶ利点は、当地ならではの「国際 性」に尽きるでしょう。いろいろな宗教や考え方の人たちが、 お互いの価値観を尊重しながら一緒に生活をしています。日本 で学べないことを、ぜひ積極的に学んでいただきたいと思いま す。日本人とは違う角度から物事を見る視点を養うことができ たら、その人の視野が大きく開かれると確信します。グローバ ル化は時代の流れでますます進むでしょう。日本人としての「物 差し」だけをいつまでも振り回していたら、自分の手で活躍の 場を狭めることになります。 日本人でシンガポールのことを「明るい北朝鮮」と言う方が います。それはシンガポールを揶揄(やゆ)し、国の事情を知 らない人の偏った見方だと思います。シンガポールで長く生活 している私にとりましては非常に残念なことです。確かに宗教 と人種に関して言論の自由での制約がありますが、「建前よりも 本音」で多民族多宗教国家を作っていかないと生き残れない、 という現実主義が背景にあることを考慮しないといけないで しょう。

 皆さんは今後もシンガポールだけでなく、日本以外の国で暮 らす機会も出てくるでしょう。他国で幸せに生活するためには、 まずはその国を好きになることが大切です。その上で偏見なく その国をよく理解し、勉強して欲しいと思います。日本の価値 観が絶対ではありません。その国にはその国の「物差し」があ ることを理解することがとても重要です。

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※2013年3月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。

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