グローバル教育
British Council Singapore Deputy Director クリスティン・ジョイス 氏

海外で育つ子どもたちはどのように未来へ向かって歩んでいけばよいのか、親が出来ることとはいったい何なのか。専門家から進路や将来を見据えたアドバイスをいただきます。

はじめに

 私は日本といろいろな関わりをもってきましたので、自分は 親日家であると自負しています。イギリスの大学を卒業後、す ぐに英語教師として日本に赴き仕事をする一方、日本政府主催 の JET プログラム 1 に参加していた夫と結婚し、公私を問わず 日本と深い関係を築いてきました。その過程で、バイリンガル 教育を目指す多くの日本人ご家族を見てきました。これまでの 経験からその際に必要な親御さんの心構えを、ある生徒の例を 考察しながらお伝えしていきたいと思います。

日本の英語教育に必要な視点

 日本で教えていたときに、ケンブリッジ英語検定のFCE (First Certificate in English)2 に2度不合格となった生徒がい ました。通常であれば、間違えた試験問題を分析し正解を出せ るように指導するでしょう。しかし、私は試験への苦手意識があった彼女に対して、あえてそうすることはしませんでした。 彼女の英語力を伸ばすことにはならないと考えたからです。む しろ彼女が自信を持つべき得意分野、つまりコミュニケーショ ン能力に注目し、そこに重点を置いた指導をしました。その結 果、彼女の会話力はどんどん向上し、「英語の総合力」が格段に 向上しました。このような経験を通して、英語でのコミュニケー ションにおける「自信」を生徒に与えることこそ、大変重要な 教師の役割だと確信するようになりました。 日本の高校で英語を教えた経験を持つ夫や同僚は、日本の英 語教育では、コミュニケーションのための英語力と、それに必 要な自信の養成が後回しになりがちだと言います。文法をきち んと理解することに多くの時間を割いているからです。

 かつてはイギリスの学校でも、フランス語などの外国語を学 ぶ時には教師が黒板の前に立ち、クラス全体に説明する学習方法が主流でした。例えば、フランス語の動詞の活用形を反復し て学ぶといった方法です。現在は「コミュニケーション能力」を向上することが重視され、そのため、学習方法においても実 際の「会話練習」が多く取り入れられています。その結果、フ ランスを旅行中に、お店でのやりとりや地元の人との会話に自 信を持って臨めるようになった、という生徒がとても多くなり ました。「コミュニケーション能力」が以前より確実に身につい ている証と言えるでしょう。

 日本でも外国語を学習する際には、この「コミュニケーショ ン能力」に自信がつく外国語学習法を考えていかなければなら ないと思います。

大切な親の言語力

 バイリンガル教育においては、教育を受ける子どもに焦点が 当たりがちですが、親御さん自身の言語環境についてもっと議 論が必要だと感じます。具体例でこの点を考えてみましょう。 前述の生徒はその後渡英し、イギリス人と結婚して母となり ました。日常生活を通して彼女の英語力は飛躍的に高まるだろ う、と私は期待していました。実際はどうなったでしょうか。 残念なことに会うたび、彼女の英語力は低下していました。彼 女は日本人コミュニティの中で子育てをし、ほぼ日本語で生活 していたからです。日本人の育児サークルに参加し、お付き合 いをする友人は日本人のお母さんたち、それに加え夫はあまり 言語への関心がないという環境でしたので、必然的に日本に住 んでいたときよりも英語に触れる機会が減少してしまったので す。英語力向上の必要性があまりないまま、中級レベルの英語 力をかろうじて保っている状態が続きました。子どもが大きく なるにつれ、困ったときはわからない単語は子どもに聞くよう になりました。

 一見普通のことのように思えますが、このような状況は親と しての権威や信頼性が、脅かされる可能性を意味します。それ は、お子さんが大きくなるにつれてより顕著になります。学校 が始まると、何か問題が起きたときに先生としっかり話し合っ たり、宿題で困ったことがあれば相談にのってあげたりする場 面も出てくるでしょう。学校での使用言語が英語であれば、親 が英語力を磨かない限り、お子さんのためにできることが限ら れてしまいます。

 日本人学校にお子さんが通っている場合でも、例外ではあり ません。英語の学び方をアドバイスしたり、英語の授業参観の 日に気になることをネイティブスピーカーの先生に直接質問す るには、やはり英語力が必要です。

 確かにバイリンガル教育をすすめる過程では、日本語の発達 を促進するためお子さんには一貫して日本語で話しかけること は必要です。しかし、真のバイリンガルになることをお子さん に求めるならば、親御さん自らがその言語の習得に努めること が大切なのです。

継続学習から得るものとは

 親御さんご自身が困った状況に遭遇しなければ、言葉を学び 続けることは簡単ではありません。継続して関心を持つには努 力が必要です。しかし、その努力から得られるものは想像以上 に大きいものではないでしょうか。 インター校にお子さんが通っている方でしたら、算数、理科、 地理等の科目でどのような宿題が出ているのかを親御さん自身 が知ることでも、学校での学習について理解を深めることがで きます。「子どもの送迎時に他のお母さんにぐっと話しかけやす くなった」と言う人もいます。またお子さんが通っている学校 がどこであれ、知識があれば英語の発音を直してあげることも できるでしょう。

 「子どもの教育のために」と思って学んでいたら、自分自身の 生活に変化がもたらされることもあります。一緒に授業を受け ているうちに多国籍のクラスメートと仲良くなり、付き合いの 幅が広がることもあるでしょう。さらに英語力に自信がつけば、 海外での生活全般において自信が持てるようになります。 配偶者の会社の行事で、当初は会話の要旨を追うだけで精一 杯だったのが、今では会話に加われるだけでなく、時には自分 から話題を提供できるようになったと言う人もいました。 会議でプレゼンテーションをしたり発言したりすることばか りでなく、ただ同僚と英語で会話することにも気後れしていた 人が、学習を続けた結果、より効果的なコミュニケーションが 可能になり、ローカルのクライアントとの仕事でも良い成果が 出せたというケースもあります。

 イギリスに住む前述の生徒のケースはどうなったでしょう か。子どもにわからない単語を聞く彼女の姿を見て将来のため にならないと考えた私は、率直にその気持ちを伝えました。改 めて考え直すきっかけを持った彼女は、自分の周りの言語環境 は英語だということを再認識し、再び学習に努めてくれました。 子どもの学校や課外活動でも、英語でのコミュニケーションに 積極的に参加するようになり、単語が思い浮かばないときは別 の言葉で置き換えて説明するなどの努力を重ねました。日本人 コミュニティの大切さはそのままに、日本人以外の人たちとの 付き合いも始めました。そんな地道な努力の結果、英語であろ うが日本語であろうがどんな状況下であっても、親としてしっ かりとした安心感と信頼性を子どもに与えられるようになった のです。

海外で生活する皆さまへ

「言葉」というものはその言葉が話されている国に住んでいれ ば自然に身につくものではありません。与えられた環境を自分 で積極的に活用する姿勢がなければ、何年たっても習得できな いでしょう。私は以前スペインに住んだことがありますが、スペイン語が流暢になるにつれて世界が大きく広がることを実感 しました。

 根気よく学び続け、子どもや自身の海外生活の「質」を向上 させようと、前向きに取り組んでいる人たちを、私は心から称 賛し応援します。そしてその方々の努力が実り、その国の生活 をご家族皆さんで豊かに楽しむ姿を見るとき、この上ない喜び を感じるのです。 どうか、皆さんも新しい一歩を踏み出して新しい世界をひら いてください。お子さんやご家族のため、そして何よりご自身 のために。

1 ... The Japan Exchange and Teaching Programme(語学指導 等を行う外国青年招致事業) 日本の外国語教育の充実と地域レベルの国際交流の進展を目的とし た政府プログラム。参加者は各自治体に配置され、公立学校で英語 教育担当として勤務しつつ、地域での国際交流事業に携わる。

2... ケンブリッジ英語検定First Certificate in English(FCE) 英国ケンブリッジ大学の一機関が認定する英語力証明資格の一つ。 日常レベルでの英語力(読み書きと会話)を証明する。FCE や他の ケンブリッジ英語検定資格試験についての詳細は www.cambridgeesol.org/exams を参照。

 

※2013年4月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。

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