シンガポールの教育情報 SPRING

子育て・体験記 Specialist

この人からエール

宇宙航空研究開発機構 宇宙飛行士 星出 彰彦 氏

2013.09.25

LINEで送る
Pocket

 私は昨年11月に国際宇宙ステーション長期滞在から帰還し、現在 はアメリカのヒューストンにあるNASA(アメリカ航空宇宙局)で訓練 を続けながら技術業務に従事しています。宇宙に行くまでの道のりは決して平たんではありませんでしたが、あきらめず最後まで夢を追い続けたことが、今日の自分につながっていると感じています。


写真:JAXA/GCTC

アメリカ、日本、そしてシンガポールへ

私が漠然と「宇宙に行ってみたい」と思うようになったのは、幼少 期のことでした。3才からアメリカで暮らしていたため、ケネディ宇 宙センターやスミソニアン博物館を訪れる機会があったことは、「宇 宙」という存在をより身近に感じさせてくれたと思います。

 小学2年で帰国し、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999を見て更に「宇 宙」への興味が深まりました。小学校の作文には「宇宙飛行士になり たい」と書いていたようです。中学からはつくば市にある茗渓学園で 寮生活を送りました。高校生の時に毛利衛さん、向井千秋さん、土井 隆雄さんの3人が初の日本人宇宙飛行士に選ばれ、その後宇宙飛行士を職業として意識するようになりました。具体的に宇宙飛行士になるためには何をしたら良いかは分かりませんでしたが、「国際感覚」と「英語力」は必要になるだろうと思いました。それが後に留学する大きなきっかけとなったのです。

 留学期間が2年間と長く、多国籍の学生がいる点に魅力を感じ、世 界中にあるUnited World College( 以下UWC)に派遣してもらうべく、 奨学生の試験を受けました。そしてシンガポールのUWCへ留学しました。

 シンガポールでは、いろいろと新しい経験をすることができ、またそこでできた友人は一生の財産となりました。異なる文化の友人たちと寮生活を送りさまざまな経験を共有したことで、一人の人間として相手を見ることができ、国籍や国民性などを意識しなくなったと思います。現在15カ国が参加している国際宇宙ステーション計画ですが、そこで仕事をする上でも、シンガポール時代の経験が役立っているのではないでしょうか。

壁を乗り越える

 人生にはさまざまな壁があります。私もここまでいくつもの壁を乗り越えてきました。

 シンガポールでは「言葉の壁」にぶつかりました。帰国子女として 英語に多少の自信はありましたが、実際に行ってみるとスラングもあり、しゃべりも早く、また多様な国籍ゆえに訛りもさまざまで、思うように聞き取ることができません。授業は全て英語で行われ、何とかなるだろうと思っていた数学でさえ問題が理解できず、必死で勉強しました。3 ヶ月が経った頃、気がつくと授業にも何とかついていけるようになっていました。その後は学校の活動にも積極的に参加し、友 人と遊びに出かけることもできるようになりました。

 宇宙飛行士になるときの選抜試験も「壁」のひとつでした。3度目の チャレンジでようやく試験に合格し、候補者になりました。好きなこ とだから挑戦し続けることができたのだと思います。「あきらめなければ必ず実現する」というほど甘くないのかもしれませんが、もし途 中であきらめていたら、そこで確実に道は閉ざされていました。

船外活動の準備中
写真 : JAXA/NASA

 宇宙飛行士の「訓練」にも壁はありました。宇宙遊泳をするときは、 歩くのではなく、手で手すりなどを伝って動きます。手で何かを操作 するときは手すりにつかまりながら片手で行い、両手で操作する必要 があるときは、足場に足を入れて両手を解放します。この「足場に足 を入れる」ことが私は上手くできず、他の飛行士が5分とかからない ところを30分かかってもできないなど、当初は苦手にしていました。 しかし何年も訓練を積む中で、ある時ふと「こういうことだったんだ」 とコツをつかむことができました。それが克服できていなければ、昨 年国際宇宙ステーションで、3回の船外活動を無事に成功させることはできなかったでしょう。  宇宙飛行までの道のりは長いですが、新しい何かを知り、できるようになる時の喜びは大きい。だから困難なことでも前向きに楽しみながら取り組み、楽観的に「どうやって乗り越えようか」と考える。こ れは、宇宙飛行士に共通することかもしれません。

1 2
LINEで送る
Pocket

PAGE TOP