グローバル教育
シンガポール日本人学校中学部 校長 齊慶 辰也 氏

~「真の日本人」を目指して~

はじめに

私が教員生活を送るようになって30年近くが経とうとしています。教育現場でも、時代の流れに即したさまざまな取り組みがされるようになりました。ICTの導入により、教授法も大きく変わってきています。しかし、教育はいつの時代も変わらず人が人に教える行為であり、一番大切なのは「人」ではないかと思います。つまり教える先生が皆、真の意味でプロの教育者になれれば、教育はより良い方向へ向かい、子どもという「宝」を理想的に育んでいけるものだと信じています。

私がかつて勤務していた愛知教育大学附属名古屋中学校では、多くの帰国子女の生徒たちを教え、また、教えられる機会に恵まれました。海外生活で培った豊かな感性、帰国後に直面した課題、彼らの思春期なりの悩みと寄り添った日々こそが、シンガポールでの教育に向きあう今日の私の原点となっています。

学校選択の難しさ

日本からシンガポールにいらしたご家庭がまず最初に迷うことは、お子さまの「学校選択」ではないでしょうか。我が子がより幸せな人生を送るために、「最良の教育環境を」と願うのは、親御さんにとってはごく自然なことでしょう。

最近では特に、海外赴任が決まったらまず現地校・インター校を検討されるご家庭が多くなっているようです。親御さんの中には、お子さまを英語環境に入れさえすれば英語を簡単に身に付けることが出来るだろう、という考えがあるように思います。しかしながら、学校を選択する際には、語学習得だけでなくお子さまの人格形成という視点でも最良の選択をする必要があるのではないでしょうか。

私がかつて6年間帰国子女クラスの授業を担当していて感じたのは、帰国子女の子どもたちは語学も堪能で、国内の子どもに比べて将来の夢や目標を明確に持ち、積極的な子どもが多いということでした。これは海外経験で得られたプラスの点と言えましょう。一方で、さまざまな課題に直面している帰国生も数多く見てきました。それは、語学的に中途半端であり、日本人としてのアイデンティティーも確立されていない子どもたちです。つまり、英語は話せるけれどあくまで日常会話の域で、論理的・アカデミックなレベルに達していない。日本語も意味はあやふやで語彙に限界があり母語として確立していないのです。自国の文化や歴史的認識も薄く、上手く語ることができません。これは海外経験におけるマイナスの点が露呈されたと言えるかもしれません。

日本人でありながらその意識がなく、日本のことを知らない。いわばアイデンティティーの喪失とも言える事態が実際に起こる背景には、海外に行きさえすれば語学力は自然に身に付くという考えや、日本語は家庭で話していれば何とかなるという誤解がご家庭にあることも否めません。そのような子どもたちが今後も増えていくのではと危惧し、日本人の子どもたちが自信を持って海外生活を送るための拠り所として、日本人学校が大切な受け皿となる必要性を改めて感じています。

海外で「失いたくないもの」

まず、日本人としての「感性」や「美徳」などが挙げられるでしょう。具体的にそれが何かということは、日本に帰った時に再発見するかもしれません。身近な例で言うと、日本の学校には清掃の時間があります。「立つ鳥跡を濁さず」ということわざにもあるとおり、自分の身の周りを片付ける気負わない自然な気持ちがあるように思います。また、給食の「いただきます」のように、他者への感謝の気持ちを伝える慣習は、見ている人がいてもいなくても、見知らぬ周囲の人を慮る文化そのものであり、日本人気質として誇りを持って良いと感じます。海外生活の混沌の中でも、失いたくない大切な資質ではないでしょうか。

次に、国語や古典、社会や日本の歴史、地理など、文化や伝統、風習などを含めた学習が挙げられます。現地校ではその土地の歴史、インター校では世界の歴史を客観的に学ぶことができるでしょう。しかし、その子が日本人として生きていくためには、まず日本の地理や歴史、政治などを含め、自国についてしっかり学ぶことが大切です。これらのことを家庭で教えるには相当な覚悟が必要です。塾での学習は学校での学びとは根本的に目的を異にしていますから、お子さまが現地校やインター校に通いながら自国について学ぶことは容易なことではありません。しかし、大人になって外国の方と話すとき、日本人として堂々と語れる知識と誇りがないと、胸を張って外へ出ていくことは難しいと感じます。お子さまに真の日本人として育ってほしいと願えばこそ、海外生活でもこれらの学習の機会は失うべきではないと考えます。

 

失敗してこそ

お子さまが今までに一度も挫折や失敗を味わっていないとしたら、それは親が気付いていないか、まだ失敗の段階にすら到達していないのかもしれません。失敗のない人生は絶対にありえません。派手な失敗も小さな失敗もいろいろ経験してこそ、人は成長していくものだと思います。すなわち、「失敗をする」ことは成長過程では必要不可欠で、むしろ良いことだと思うのです。

子ども時代の失敗は、成長の一過程と考え、広い心で受け留めると良いと思います。例えば、人のものを盗る、隠すというようなことは、多くの子どもたちが経験することです。もし、我が子がそのようなことをした場合、親がきちんと気付き、善悪の判断を説くことができるかどうかが大切なのです。親が子どもと共に「失敗」に真摯に向き合ってこそ、「もう二度とこんなことはしまい」と子ども自身が自ら悟ることができるのです。

失敗のない子はその機会を得られずに過ごしてきたにすぎません。思春期には、人間関係や将来の目標など悩みは尽きないものです。お子さまがたとえ失敗をしたとしても、「今が成長のチャンス」と考え、しっかりその時の気持ちに寄り添っていけたら良いと思います。

日本の教育に望むこと


2年生 美術のイマージョン授業

グローバル化に伴い国際比較が進む中で、日本の学力の低下が叫ばれています。しかし私は、日本の教育は他国と比較しても決して劣ることはないと思っています。確かに学習到達度調査(PISA)の結果によれば、ここ数年アジアの他の国が台頭し日本の存在感は弱まっています。しかし、OECD加盟諸国における教育費への支出の国際的比較で、日本が下位に位置している(文部科学白書2009年より)という現状を鑑みると、そのような状況下としては十分成果を出していると言えるでしょう。日本の教育現場や、海外の日本人学校の先生方のご尽力の賜物だと思います。

私が理想的だと考える教育を申し上げるならば、日本の教育現場には、もっと英語のイマージョン教育を取り入れていただきたいということです。本校では現在、体育、音楽、美術、家庭科でイマージョン教育を実施しています。もちろんカリキュラムは日本の学習指導要領に沿っていますが、授業の使用言語は完全に英語です。はじめは苦労する生徒もいますが、すぐに慣れ始め肌感覚で英語に親しんでいきます。日本人学校で学びながらもそこで培われる英語力には高い評価をいただいています。日本ではさまざまな障壁があるでしょうが、イマージョン教育を実施することにより、国際舞台で活躍できる人材の育成に大きく寄与できるに違いありません。シンガポールは、2言語政策によりほとんどの人達が母語と英語を話します。全ての国民をバイリンガルに教育できることは、シンガポールにおいて完全に証明されているのです。

モノリンガルの今の日本人が日本語と英語との二つの言語を操れるようになれば、国際社会をけん引するグローバルリーダーに日本人が就く日も遠くないと思うのです。

海外で暮らすご家族へのメッセージ

せっかく海外にいるのですから、ぜひローカルの方との関わりを持つと良いと思います。シンガポールにいても、現地の方とのつながりがなければ本当の意味でのシンガポール生活を体験したとは言い難いのではないでしょうか。日本人学校中学部では、互いの学校生活を体験する星日学生交換プログラムを30年以上にわたり行っています。地元伝統校の生徒から中国語を学ぶ活動や、科学分野の授業交流などを通して、シンガポール人やコミュニティとの関わりを持っているのです。お子さまには、シンガポールが「第二の故郷」になるように、ぜひここでローカルの友人・知人のネットワークを作り、帰国後も生涯にわたって付き合うことができるよう願っています。

私自身一児の父として実感していることは、「子どもは親が言ったようにはならず、親がしたように育つ」ということです。いくら口を酸っぱくして言ったとしても、その効果は大したことはありません。実際には、親の行動・態度を自然に模倣するようになるのです。親が日々前向きに誠実に取り組めば、お子さまも目標に向かって自然と地道に努力をするようになると確信しています。ご家族皆さまが共に有意義な海外生活を送られることを、祈念しております。

 

※2015年6月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。

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