グローバル教育
国際バカロレア機構 アジア太平洋地区代表 Ian Chambers(イアン・チャンバース)氏

~真の国際教育とは~

はじめに

英国出身の私は、多感な十代のころ多様な文化や広い世界への渇望から、外国と英語以外の言語に興味を持ちました。ナポリ大学留学を経て英国の大学でイタリア経済を専攻し卒業後、同級生の多くが金融街シティで職を得る中、私は全く異なる選択をしました。それは、世界各国へ旅に出ることでした。

念願の旅には3年の年月を費やし、アジア、アフリカ各国をはじめ、訪れた国は数えきれない程です。多くの発展途上国で私の目に留まったのは、町中の喧噪(けんそう)と混乱でした。 殊にインドなどでは街頭にあふれる貧しい人々の、あまりにも厳しい現実に大きな衝撃を受けました。ところが、はじめは混沌として見えた風景も時間の経過とともに、その場所で生活する人々にも秩序が存在し、生きていくための社会構造がしっかりと存在することに気づきました。世界各地のさまざまな人々の生き方をこの目で見て肌で感じ、同じ空気の中で生活したことは、今までの私の考え方を確実に広げ、種々さまざまな価値観に触れることになりました。これらの体験は、それまで学校の教室で学んだこととは比較にならないほど、意味のある「真の学び」だったのです。

「真の学び」を体感した私は、世界の広さと社会構造の深さ、民族や宗教を超えた共通の価値観の存在を子どもたちに教えることこそが、自分の仕事だと考えるようになりました。これが経済学部を卒業しながらも、教育の分野に身を置くようになったゆえんなのです。

歴史から見る国際教育

現在、国際教育が「世界の平和」を崇高な目標として掲げるのには、その成り立ちが大いに関係しています。かつて学校は、国が求める国民規範を教えることが目標の一つとして掲げられたこともありました。しかし、数々の国家間の争いが勃発した時期に、国の枠を超えて相互理解に努めるとともに、複眼的、相対的な思考力を高め、国際社会の中での問題解決能力を高めることが国際教育として必要であると人々は気づいたのです。

第一次世界大戦後の1920 年に国際連盟が設立され、その幹部らによって、4年後にスイスジュネーブに、世界初の万国の子女を迎えるためのインターナショナルスクールが開校しました。日本でも時をほぼ同じくして、インターナショナルスクールが誕生しました。日清・日露戦争や関東大震災などの動乱の明治・大正時代に、インターナショナルスクールの前身と言うべき外国人学校が宣教目的や欧米各国の日本居住者のために開校され、スイスの学校と同じ1924年に横浜で本格的な国際校が設立されています。

不幸にも第二次世界大戦が勃発、再び無謀な戦争により多大な損害がもたらされ、地球上の多くの尊い人命が失われました。人々は、戦争の愚かさを認識し、世界平和への思いを新たにしました。

国際バカロレア機構が非営利教育財団として設立されたのは、1968年のことです。 ごく小さなコミュニティで受け入れられた国際教育は、その後50年近くの間に世界中で共感され、各国の教師の英知が結集し、世界146ヵ国4,200校以上で導入されるまでに至りました。現在では125万人以上の児童生徒が学んでいます。国際バカロレア(IB)の歴史で特筆すべきことは、当初は西洋的発想で始まった教育哲学が、時を経て広く東洋的な思想と価値観にも影響され、更に変化し改善していったことです。かつては国際機関に勤める駐在家族の子女が通うインターナショナルスクールで導入されていたこの教育が、今日では日本や中国、インド、マレーシアなどの、アジア各国の地元の学校でも受け入れられつつあります。自国と国際社会とのつながりが密になればなるほど、国際教育の意義はますます高まっていくことでしょう。

日本では、2018年までに国際バカロレアディプロマプログラム(IBDP)を導入する学校を200校まで増やすとする数値目標が掲げられています。戦後70年間平和を守り続けた日本が、より平和な世界にするための国際教育を国家戦略として推進することは、 極めて前向きで他国にも良い影響を与えるに違いありません。

地域社会と国と地球

急速に変化し、互いが密接に関わり合う世界を、「国際的(インターナショナル)」と「地球規模的(グローバル)」という言葉で表現することがあります。「国際的」とは、国家間の関係に基づく見方である一方、「地球規模的」とは、一つの地球を全体ととらえた見方です。テクノロジーが目まぐるしく発達している昨今、国を超えた繋がりや組織が今後もさらに増え続けていくでしょう。このような世界では「地域社会(ローカル)」「国(ナショナル)」「地球(グローバル)」の区別は曖昧になり、互いの関わりはますます複雑化していきます。

一見すると、グローバルな視点を重視する国際教育と、自分の所属する国・地域・民族・宗教に重きを置く地域に根ざした教育とでは対極にあるように感じるかもしれません。また、教育で使用される言語は「英語なのか、母語なのか」という議論もあります。「グローバルな視点」「国際語としての英語」が強調されればされるほど、「民族意識」や「自国回帰」「母語重視」の必要性が説かれていくのも興味深い現象です。ただ、両者はどちらかを肯定しどちらかを否定しなければいけない、というものではありません。私は「世界が平和になるための教育」という視点では、車の両輪のように両者の考えは共に必要な要素だと感じています。その証拠に、 IBのプログラムは、イスラム教・仏教・キリスト教・ユダヤ教などの宗教色のある学校や、各国の通常の現地校でも受け入れられています。

国際教育とは、そもそも「自己を知り、自分の文化や言語を大切にすること」を原点にし、「異なる背景を持つ人々も尊重しなければならない」と理解しながら、 「地球的な視点で互いに歩み寄り、答えを導く」ことに価値を置いているのです。

 

「オープンな心」とは

世界旅行からもどった私の目には当時の英国は、極めて閉鎖的な社会に映りました。 海外で生活する日本人の皆さんが日本に帰国した際にも、母国の景色は以前とは少し異なって見えることもあるのではないでしょうか。これは、我々が外国生活を通じて他の人々の価値観や伝統の真価に触れたことで、多様な視点が自然に備わり、自分とは異なる存在や考えを受け入れる「オープンな心」が芽生えたからだと思います。

子どもたちは、生まれながらに好奇心の固まりです。新しいことを発見し、学ぶことに喜びを感じます。 ところが、質問したいことがたびたび遮られたり、試験で良い点をとるために機械のように勉強を強いられたりすると、知的好奇心が無惨に打ち消されてしまいます。

そこで 教師たちに求められていることは、生徒たちが「学びたい」と思う瞬間をとらえ、その気持ちを最大限引き出すこと、そしてクラスの中で教師が議事進行役(ファシリテーター)となり、生徒たちが互いに学び合う環境作りをすることです。教師には事前にかなりの準備が求められるため、苦痛に思うこともあるかもしれません。しかし、教師こそ「オープンな心」をもって、一人ひとりの生徒の知的な欲求に真摯に応える必要があり、そうできるかどうかで、正に教師本人の力量が試されるのです。

教育業界に転じて教師となった私が苦労したのは、 決められた授業計画を実際にこなすことと、学校の経営状況などにより教師の一存では学習環境を改善できない現実でした 。それでも、 教師でいる限り、嘘偽りのない熱い思いを持ち続けなくてはいけないと考えていました。なぜなら教師の責務は、これから社会にでる子どもたちに良い学校・大学へ入るための勉強を教えることではなく、彼らが学校を離れた後も、生涯において学ぶ大切さを理解し、ずっと学び続けられる人へと導くことだからです。

海外で暮らすご家族へのメッセージ


クラス風景写真

折りにふれ、日本の「ものづくり」の真髄に触れることがあります。どんなに小さく安価なものでも工夫を重ね、柔軟な発想で丁寧に作られている日本製品に、何度感嘆したことでしょうか。 その微細にわたる考え、何かを極めその集中力から生まれる「創造力」は、日本人が誇るべきユニークな才能でしょう。

欧米の社会では「まずは挑戦してみる」「誤りはその場で修正していく」という考え方が浸透していると思います。一方、日本社会では「石橋をたたく」慎重さと「念には念を入れる」完璧主義が重視されているようです。今後は、欧米と日本の折衷案とも言える「大胆かつ慎重」というバランス感覚が、ますます求められるのではないでしょうか。

世界中では、かつてないほど人々は関わり合い、それゆえに多くの問題が起こり複雑化しています。山積する問題をひも解くために、改めて「教育」が必要とされていると感じます。異なる文化と民族が共存するここシンガポールでこそ、相手に対してオープンな心を持つこと、思慮深いこと、そして、道義的責任を果たしながら国際性を自然に身につけることができるのではないでしょうか。IBに限らずどの教育プログラムにおいても、子どもたちが学習の主役となり、学ぶ楽しさをかみしめながら自分で答えを導けるようになることを切に願っています。不確かな未来に直面する私たちにとって、「教育」こそが希望に満ちた確かな営みなのですから。

 

※2015年9月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。

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