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この人からエール

灘中学校・灘高等学校校長 和田 孫博氏

2016.06.25

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~「個性」を尊重する教育を目指して~

はじめに

今後20年ほどの間に、現在存在する職業の多くはAI(人工知能)に代わられると言われています。しかし「教員」については、いつの時代になっても存在し続ける職業であると疑いません。なぜなら「教員」は、教育の現場で営まれる生徒と人間同士の付き合いが生業であり、最も人間味が必要とされる職業と言っても過言ではないからです。

本校は、東京大学への合格率の高さという点で注目されがちです。しかし一番の特徴は、制服がなく校則もほとんどない、そしてカリキュラムも教科の先生次第といった自由な校風の中で、生徒たちが「個性豊か」に学校生活を送っているということです。「精力善用、自他共栄」の校是に象徴される通り、「努力をもって自分の個性を最大限伸ばし、他人の個性も尊重し共に切磋琢磨していく」という人間形成が、脈々と受け継がれているのです。

教員生活40年を迎える私は、今後も常に日本の教育が抱える問題やあるべき教育の姿について考えながら、個性の尖った子をさらに伸ばしていけるように、生涯「教員」として携わっていきたい、と考えています。

灘中学校・灘高等学校校長 和田 孫博氏

灘中学校・灘高等学校校長 和田 孫博氏

「偏差値70」の意味とは

中学一年生で入学してきた生徒に最初に教えるのは、既に聞き慣れたはずの「偏差値」という言葉の本来の意味です。「偏差値」とは、定義のどこにも「頭が良い」とは書かれておらず、どれだけ「偏っているか」という数字に他なりません。「偏差値70」が凄いと言われるのは、勉強面に限ってのことです。昔、脳科学者の養老孟司氏の講演でお聞きしたのですが、血圧だったら降圧剤を処方されるほどで、非常に危険な数値です。確かに偏差値が高いことは、その一面では秀でているということでしょう。しかし、偏差値の高さだけをもって、「自分が優秀だ」と勘違いするのは間違いで、あくまで勉強が得意であるという「個性の一つ」に他ならない、と言い聞かせています。人間としての真の「優秀さ」は必ずしも偏差値とは連動しない、ということを伝えているのです。

中等教育の時期に、明確な目標にしやすいのが大学受験です。しかし、受験はあくまで通過点に過ぎず、成長していく一つの「節目」と考えていただきたいです。合格を目指して努力すること自体は素晴らしいことですが、それは、あくまでも人生の節目を乗り越えるための努力であって、人と競い合うためのもの、競争したいがために嬉々としてやるべきものではありません。順位がどうとか、あいつがライバルだという必要はなく、自分を高め成長していく過程の一つに過ぎないのです。

本校では、友だちと教え合い、問題を出し合う姿をよく見かけます。仲間と助け合い共に頑張ることで、受験勉強を通しても人間として成長し、人格を高めることにつなげていただきたいと、強く願っています。

親は「100番目の相談相手」

日本が国際社会から遅れをとり、ガラパゴス化していると感じるのは経済や教育だけではありません。「子育て」に関しても世界標準と大きくかけ離れていると感じることがあります。「独立心」を養う教育方針が浸透している欧米諸国とは異なり、日本は少子化ということもあり一般的な傾向として、一人のお子さんに集中して愛情をかけられる環境にあります。つい過保護になりがちで、「子離れ」を適切なタイミングにできていない方が増えているように思います。

これは、お子さんを放っておくべきという意味ではなく、お子さんを信頼して、少し離れたところから温かく見守るのが良いスタンスだということです。特に、多感な10代は思春期でもあり、子どもは親の庇護からの脱皮を図ろうとして、親と話さなくなることもあります。そうなるとさらに親御さんの心配は絶えませんが、これは子どもから大人に脱皮するために避けられない時期なのです。そこで、心配のあまり我が子を守ろうとして手や口を出しすぎると、お子さんの自立の芽を摘んでしまうことになります。

私の教え子で、東大医学部に進み、現在信州大の青年心理の教授をしている人がいます。その人の言葉に「親は100番目の相談相手」というのがあります。中高生の時期は、親よりも友人の存在が大きくなるため、普段は口数も減り会話も乏しくなりがちです。しかし、本当に困ったときは、必ず親に相談してくるものです。それまでは少し離れて見守っていて、いざという時に親身に相談に乗ってあげるのが親としての理想的な接し方だと思います。

「アクティブな学習者」であれ

灘中学校・灘高等学校

灘中学校・灘高等学校

日本の教育には、皆が同じように出来てもらわないと困るという「画一教育」の考えが根付いていると感じます。「右向け右」のように、皆が同じように学んでおり、個に対する関わりが、昔から得意ではないのです。戦後復興期の教育はそれで良かったかもしれませんが、今後国際世界で切磋琢磨していくうえでは、もう少し個々の能力をうまく引き出していくような教育のあり方が求められるでしょう。

日本の教育現場では、その日の授業を復習して定着させる「復習型」が主流で、それこそが、授業がアクティブにならない理由の一つだと言えるでしょう。全員がアクティブに参加できる授業を展開しようとするなら、事前に課題を出しておき、生徒それぞれが予習をしてくる「予習型」の授業が中心であるべきなのです。事前に学んでおけば、授業で自分の意見を出せるようになり、活発な意見が交わされるに違いありません。

アメリカでは12名までの少人数でアクティブ・ラーニングが行われており、最近は日本でも、同様の学習法を取り入れている学校が増えています。しかし、まだまだ一般的とは言えません。

教育改革が喫緊の課題となっている今こそ、先生がリードして正しい答えに導く従来の授業スタイルではなく、生徒それぞれが事前に学び、しっかり自分の頭で考えるところまで予習をして、授業では各自が意見を出し合う「アクティブな学習者」になる工夫をする必要性を、強く感じています。

真の「グローバル教育」とは

英語が世界語になった現代では、英語の習得が大切であることは事実です。しかし、今後のグローバル教育を考えるうえで、そこだけに視点がいっていることが心配になります。

海外で暮らしている皆さんは、それまでにどのような英語教育を受けたかに関わらず、現地で暮らせば一定の期間を経て、意思疎通をする程度の英語が話せようになる、ということを経験済みでしょう。

今叫ばれている日本の英語教育の方向性は、「話せる英語」にばかり重点が置かれていることを危惧します。ネイティブのようになろうとすれば、かなり小さいころからそれなりの努力をしなくてはなりません。しかし、語学の習得は皆さんがご経験済みの通り、ある一定の期間に現地に身を置くなどすることで、後からでも十分力がつくものです。

むしろ、日本人は独自の文化を花開かせてきた反面、他国の文化に対しての理解が足りないところがあると思います。昔の説話に大和人が鮭の皮の靴を履いているアイヌ人に「主食である鮭を足蹴にするとは野蛮な」と言ったのに対し、「あなたこそ主食の稲を使ったわらじを履いているではないか」とやり込められるという話があります。多様な文化を理解するには、机上の知識だけでなく、身をもって体験することが大切であると強く思いました。

言葉ができても、異文化の耐性がないゆえに意思の疎通がうまくいかないケースも多々あることでしょう。広い意味でコミュニケーションの在り方を許容できる術を身につけることが真のグローバル教育であり、これからの時代には今まで以上に求められると思います。それが出来てこそ、まさに「自他共栄」のごとく、他者の個性も尊重し共に世界市民として切磋琢磨していけるに違いありません。

海外で暮らすご家族へのメッセージ

お子さんの教育においては「正解がない」と言える一方で、どのような教育も、それは一つの「正解」と言うことができるでしょう。それゆえ、教育とは奥が深く難しいのです。

まずは、お子さんご自身が将来何をやりたいのかをしっかり考え、自分の夢や目標を明確に持つようにサポートすることが親御さんの大切な役目でしょう。そして、お子さんがその夢を実現するためには何を勉強する必要があるのかを考え、どの学部で学ぶのが良いか、それならばどの大学が良いか、という目的本位で決めていくことが重要です。お子さんによっては、必ずしもテストで高得点をとることが得意とは限りません。その場合、どのような道が向いているのかを一緒に考え、適正なサポートをすることも大切です。

人はどんな職業に就いても、生涯学び続けていかなければなりません。小さなお子さんには理解しにくいかもしれませんが、「人は一生学び続けるもの」であることをお子さんにしっかり伝えましょう。お子さんが自分の目標のために進んで努力するという姿勢を身につけ、自主的に人生を切り拓くことが出来れば、それこそが教育において一つの「正解」と言えるのではないでしょうか。

和田 孫博氏

1952年 大阪府生まれ、灘中学校・灘高等学校出身
1976年 京都大学文学部卒業。
母校に英語科教諭として着任し、野球部の監督・部長を務める
2007年より現職

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