グローバル教育
女優・ユニセフ親善大使 黒柳 徹子さん

~子どもは子どもなりに考えている~

はじめに

子どもの頃、一般的に言えば「問題児」だったような私に対して「きみは本当は、いい子なんだよ」と、言い続けてくださった校長先生。「子どもだもの」と、一度も叱らずに、やりたいことをやらせてくれた母。自分らしく生きながら楽しく仕事をしてこれたのは、多くの温かい大人たちにいつも認めてもらっていた子ども時代があったからだと思います。

女優・ユニセフ親善大使 黒柳 徹子さん

窓ぎわのトットちゃん

私は小学校1年生の時に、入学した小学校を退学になりました。担任の先生は、「他のお子さんの迷惑になるから、よその学校に連れて行ってください」とおっしゃったそうです。理由としてあげた「迷惑な行為」は、教室の窓際に立って、すぐ向かいの文房具屋さんのおばさんとおしゃべりしたり、外を通ったチンドン屋さんを呼び込んだり、巣作りしているツバメに「何してるのー?」と大きな声で叫んだり、確かに迷惑千万なことばかりです。今思えば、私は学校という場所が何をすべき場所なのか、よく分かっていなかったようです。でも、母は私に「他の学校に行ってみない?」とだけ言って転校させたので、私は20歳になるまで「自分は退学になった」ということを知りませんでした。大人になってから詳しく聞いた時、母は「子どもだもの、それくらいするだろうな、って思った。あなたが悪いとは思わなかったわよ」と話していました。

もしその時に「あなたは、こんな悪いことをしたから退学になったのよ」と言われていたら、きっと私は新しい学校を楽しめなかったのではないかと思います。「みんな、私が退学になったってことを知ってるのかしら」「他の子も、退学になった子なのかな」などと余計な心配や勘繰りをしてしまったでしょうから。

新しい学校での初日、学校に着くなり校長先生はお部屋で、「何でも話してごらん。話したいこと全部」とおっしゃいました。私は張り切って、今乗ってきた電車のことや飼っている犬のことなど、思いつくことを全て話しました。その間、4時間。6歳の子どもが初対面の大人に向かって4時間も何を話したのかしら、録音していたら面白かったのに、と思います。

女優・ユニセフ親善大使 黒柳 徹子さん 小学生のころ 小学生のころ

もしその間に、少しでも先生が腕時計を見たり退屈そうな素振りをしたら、きっとそこまで話が続かなかったと思うのです。でも校長先生は、「へぇ、それで?それからどうしたの?」って、すごくよく聞いてくださいました。それでとうとう、もうお話しすることが尽きてしまった時に、「ああ、話が終わっちゃったら、もうこの人とお別れしないといけないのかな」と悲しくなったのを覚えています。子どもは、自分の話をよく聞いてくれる人のことを信頼して好きになるものですね。

その後、この大好きな校長先生が私を見るたびにおっしゃった、「トットちゃん、きみは本当は、いい子なんだよ」という言葉が、何十年過ぎてもいつも私の心を照らす灯のように自信を与えてくださいました。

女優・ユニセフ親善大使 黒柳 徹子さん NHK時代 NHK時代

子どもは子どもなりに考えている

5歳の時、「結核性股関節炎」という病気で脚を悪くして入院したことがあります。隣の病室に私と同じくらいの女の子が同じ病気で入院していました。私は運よく完治して普通に歩けるようになりましたが、退院後しばらくしてから、自宅の近くで道の向こうからその女の子が赤い松葉杖をついて歩いてくるのに出会いました。女の子は私の顔を見ると、さっと目線を落として私の脚を見たのです。私はとっさに「あ、この子に私の治った脚を見せてはいけない。きっと悲しくなるわ」と思いました。それ以来、近所で赤い松葉杖が見えるといつも、私は物かげに隠れたりしていました。

それから、最初の小学校でクラスにいつも怒鳴っているような女の子がいました。「誰もいじめたりしていないのに、どうしていつも怒ってるんだろう」と気になって、「よそで辛い目に遭ってるのかな。お友だちになってあげようかな」と考えたことを、今でも覚えています。

またトモエ学園では、身体的に障がいのある児童も何人か通っていて、校長先生はいつも「みんな一緒にやりなさい。一緒だよ」とおっしゃっていました。「助けてあげなさい」とはおっしゃいません。そこで、子どもたちは当たり前のように知恵を絞って、全員が一緒に楽しく遊べる方法を考え出しました。

こうして思い出すと、5歳や6歳の小さな子どもでも、自然に人のことを思いやれて、いろいろなことを考えていることに気づきます。言葉ではまだうまく言えなくても、子どもの言動の背景にはその子なりの考えや、感じていることがあるのですね。大人には迷惑なことも、本人は一生懸命考えて、良かれと思ってやっていたということもあります。ですから、大人が子どもの気持ちを傷つけないように、それをくみ取って理解しようとしてあげることは、とても大事だと思います。

 

母と私

私の母は生涯、私のことを強く叱ったり戒めたり、というようなことを一切せずに、どんな時でも私の味方をしてくれました。挨拶やお行儀はよく教えられたと思いますが、それ以外は何をやっても、外で遊んでお洋服をびりびりに破いてきても、叱ることはありませんでした。今思うと、私みたいな子どもがいて怒らないでいられるお母さんは滅多にいないんじゃないかしら、と思います。

母はとても理解がありましたし、思い返すと私の人生の節目節目で、母の判断や助言が重要な役割を果たしたと感じますが、かといって私のことにすごく関心があって、出演した番組などを逐一よく見ているという訳ではありませんでした。よく有名人の方で、「亡くなったお母さんの部屋から、自分が出ている新聞記事の切り抜きがたくさん出てきて感動した」というようなお話を聞きますが、私の母は全くそういうことはなかったので、そんな話を羨ましく思ったこともありました。母はシェークスピアの演劇などを好んで観に行くなど自分の世界を持っていて、子どもたちには細かい干渉もせず、程よい距離感を保っていたように思います。

ユニセフ(国連児童基金)の親善大使を始めて、私が遠くアフリカやアジアの国々に行く時も、母からはいつも「じゃあね、行ってらっしゃい」という言葉だけでした。「そんな所に行って大丈夫なの?」とか「危ない所みたいだから、気を付けて」などと言うこともありません。もし母に反対されたり、心配されたりしていたら、もしかしたらユニセフの仕事もここまで思い切りよくできなかったかもしれない、と思います。帰ってくると、「無事をお祈りしてたのよ」と、それなりに心配していた様子でしたが、行く前はいつも明るく「じゃあね」でしたし、96歳で亡くなる時も、最期の言葉は「じゃあね」でした。

女優・ユニセフ親善大使 黒柳 徹子さん お母さまと徹子さん お母さまと徹子さん

子どもの「生きる力」

ユニセフの親善大使としてはこれまで30年間にわたり、毎年世界のどこかに視察に行って、それを日本の皆さんに報告しています。内戦や虐殺、自然災害などの過酷な状況の中、子どもたちは本当にけなげに前向きに生きています。これまで各地で難民キャンプを訪問していますが、親兄弟を目の前で殺されたり、どんなに恐ろしい目に遭った子どもでも、自殺する子は1人もいないそうです。「私だったら、死んでしまった方がまし」と思ってしまいそうな状況でも、子どもたちは絶対に生きていこうとしています。

そんな子どもたちに出会う度に、子どもというのは、元来そういう前向きに生きていこうとする力、未来を信じる力を神様から与えられていることに気づかされます。ですから、日本のように豊かで平和な国でいじめなどを苦に亡くなる子どもの話を聞くと、「そういう希望を持つ力すら奪われてしまったのかな」と本当に悲しくなります。

先日訪問したネパールでは、7年前の訪問の時に15歳だった女の子に再会しました。7年前、その子は毎日川の中に入って、川底の泥をすくい、45キロにもなるかごを背負って運び出す、という作業を毎日何十回も繰り返す仕事をしていました。それでも一日に稼げるお金はわずかで、絶望的な状況に見えました。ユニセフが支援する識字教室に通っていたその子は、「何かやりたいことある?」と聞くと、「きれいなお洋服を作る仕事をしたい」と言いました。「それなら、ちゃんと勉強してミシンの練習もして、できるようになりなさい。いつか私のお洋服を作ってちょうだいね」と話したのです。そうしたら、今回の訪問の時には、すっかりミシンで縫えるようになって、本当に、私にお洋服を作ってくれていたのです。とても感激しました。そして、「自分の人生で、あのように私のことを思って助言してくれた人は他にいなかった」とお礼を言われました。その子なりの夢を認めて、励ましてあげるだけで、あんな状況からでも這い上がって抜け出せたんだ、子どもは前に向かっていけるものなんだ、と改めて子どもが持つ「生きる力」に感激しましたし、私たち大人が子どもに与える影響についても考えさせられました。

女優・ユニセフ親善大使 黒柳 徹子さん 南スーダンで (c) UNICEF South Sudan/2013/Knowles-Coursin 南スーダンで (c) UNICEF South Sudan/2013/Knowles-Coursin

子どもたちに伝えたいこと

海外に出ると思いますが、日本はおもてなしの精神などが世界でも抜きん出ていますし、何よりも平和で安全ですね。幸せな状態ってどんなことだろう、と考えると、やはり平和の中で暮らせることだと思うのです。私は子どもの頃に戦争を体験して、また世界中でむごい戦いを見てきて、やはり平和でないと何もできないと痛感しています。戦争になると物や食糧が手に入らなくなったり、医療や教育などが機能しないだけではなくて、毎日恐怖の中で、自由に考えて行動することも、将来を夢見ることもできなくなります。日本やシンガポールは、今は平和が続いていますが、その中で育った子どもたちには、この平和の尊さ、平和がいかに貴重なかけがえのないものかということを分かっていて欲しいな、と思います。

それから、子どもたちには何にでも関心を持つ人になって欲しいですね。世界のどこかで何か起きた時に「どうしてこんなことが起こるのかな」「自分は何をしたらいいのかな」と疑問を持つこと。私なんかはそういう疑問がありすぎるような子どもで周囲を困らせたかもしれませんが、「私には関係ない」と思うようでは、世界は良くなっていかないと思うのです。

その子らしい将来を楽しみに

今年で40周年を迎えた番組「徹子の部屋」のゲストとして来てくださる第一線の方々に共通して言えることは、最初から「有名になろう」と思っていた訳ではない、ということです。私も含めて、自分がやりたいことを渾身の力で頑張ってきたら、気づいたらここにいた、という方が多いと感じます。そして芸能界でもどこでも、長く活躍されている方は、正直で真面目な方が多いように思います。こんなことをお話しすると理想論とか夢物語のように思われるかもしれないですが、これが長年にわたって多くの方たちのお話を聞いてきた私の正直な感想です。やはり自分を清らかな状態にして「目標を達成しよう」「人さまに喜んでいただこう」と思う気持ちでいると、謙虚に一生懸命勉強もしますし、最終的には自分にも周囲にも良い結果をもたらす、そんな風に思います。

今の時代、「英語ができたら良い」とか「よくお勉強して名門の学校に入れよう」とか、とても教育熱心な方も多いようですね。トットちゃんの時代とは違いますから、それはそれで良いのでしょう。でも子どもの成長で大事なことは、「長い目で見る」ということですよね。私自身のことを振り返ってもそうですが、すぐに結果が出ると期待せずに、その子の言い分をよく聞いてあげて、「この子らしい将来はどんなものかしら」、と楽しみに見守っていただけたら良いと思います。

 

※2016年9月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。

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