グローバル教育
「論理エンジン」著者 出口 汪氏

国語教育とは、「考える」術を身につける学問である

はじめに

子ども時代の私はとてもわんぱくで、いつも野山を駆け回っており、集中力がなくじっと座っていることが苦手な子でした。教科書も全部なくしてしまうほどで、大学に入るまで授業をまともに聞いた記憶がない劣等生だったのです。大学に行こうと予備校に通いましたが家で本を読みふける生活を続け、結局、三浪して大学の文学部に進学しました。

そんな私が教育者の道を歩み始めたきっかけは、大学院生時代に教授からすすめられた予備校講師のアルバイトでした。今でこそ私の現代文・論理力の著書は累計1200万部を超え、この30年間トップで売れ続けている学習参考書になりました。しかし、そこに至った背景では、皮肉にもあまり勉強をしなかった青年時代の体験が功を奏しているのです。

「論理エンジン」著者 出口 汪氏 「論理エンジン」著者 出口 汪氏

「国語教育」とは何か

受験勉強をまともにしなかった私が、いきなり予備校で現代文を教えることになったのですから「一体何を教えれば良いのだろう」と、素朴な疑問にかられたのも無理はありません。国語教育とは何かを考え、悩みながら子どもたちに聞いてみました。すると「国語は日本語だから勉強しなくても何とかなる」という子と、「いくらやっても効果がないからあきらめて他教科で点数を稼ごう」という子のどちらかのタイプしかいなかったのです。

欧米では、幼い時から訓練して「自己主張できるようにする文化」があるため、学校では自分をしっかり表現するために必要な「言語技術の習得」に主眼が置かれています。一方、日本では阿吽の呼吸と言われるように、言葉で伝えなくても互いを理解できるという前提があり、「察する文化」が存在します。だからこそ国語でも、筆者の考え方を察しようと感覚的に捉える習慣があるように思います。
 
国語は「日本語だから勉強しなくてもできるはず」と考える人もいるでしょう。しかし、子どもたちの国語の成績が伸び悩むことは多々あります。大抵の国語の先生はそんな時、主に三つの助言をするものです。たくさんの本を読むこと、問題を数多く解くこと、そして新聞の社説などを要約することです。しかし、予備校講師をしていた当時の私は、果たしてこの三つを実行して国語力を高められるだろうか、と常に疑問を持っていました。過去の入試問題をいくつも解説し、100%理解したとしても、受験で同じ問題が出る確率はほぼゼロです。だからこそ、どんな文章を読んだ時にも応用できる明確な「ルール」が必要だと考えたのです。

「論理」とは

大学入試などの国語の設問で圧倒的に多いのは評論です。評論は何かについて論じる文章であり、将来仕事や社会生活の中で触れることも多いため、その読解力の重要性は言うまでもありません。

「論理」と聞くと、抽象的で分かりにくいイメージを持つ方もいらっしゃるでしょう。簡単に言えば「言葉の規則」であり、物ごとの「筋道」です。

私の経験から言えること、それは「受験の結果は頭の良し悪しではない」ということです。勉強でも他の学びでも、大切なのは「論理」という共通の法則を理解できているかどうかなのです。なぜなら、この「論理」こそが、どんな文章でも、更には国語の枠を超えてどの教科にも応用できる、明確な「ルール」だからです。

人生において論理力を活用することは、論理的に話し合いができるという点でスムーズな人間関係にも役立つと気づいた時、私にとっての国語教育の世界は大きく広がりました 。 国語教育とは、正に「考える」術を身につける学問であると気づいたのです。

「論理」を身につければ

話し方が変わる(=筋の通った話ができる)

みんなが理解してくれる(=人間関係が円滑になる)

コミュニケーションの仕方が変わる

周囲の人が評価してくれる
  ⇒あの人の話は分かり易い

効果:

  • 何か問題があった時にも、論理的に話し合いができる
  • 友だちや家族だけでなく、大学や社会に出た時にもスムーズな人間関係が築ける
  • 文章の読み方が変わり、筆者の論点を早く正確につかみ取ることができる ? 英語・数学・理科・社会あらゆる教科にも役立つ

日本の教育の変遷

日本の現代の教育の原点は、江戸時代の「蘭学」です。近代化を目指していた当時、西洋で進んでいた知識を取り入れ模倣するために、オランダ語で書かれた書物を日本語に翻訳する学問、それが蘭学でした。自分で考えるのではなく、模倣こそが教育の大半の意味だったため、蘭学として学んだ教科書に書かれていることを、皆が必死に覚えていたのです。

ところが今日では、人工知能がチェスや将棋の名人たちを負かす時代になりました。正解と思われていたことが次々に塗り替えられ、世界では新しいアイディアが革新的な技術へと次々に転換されていきます。教科書の内容が時代に追いつかないだけでなく、世界のどこかで異なった答えが同時に存在することすら生じるのです。

2020年には日本の大学入試方式が大きく変わり、自分の考えをまとめ発信する力が求められていくことは、こうした時代の変遷を如実に表しています。時代は正に、知識の量を競う時代から、ある知識を応用し新しい考えを自ら作る時代に移ろうとしているのです。

このような時代に、教育はどうあるべきでしょうか。 個人的には、覚える情報量を思い切って減らし、いろいろな角度から物ごとを考える力を養わなくてはならないと考えています。 根幹になるものは記憶ではなく「生涯使える知識」だけです。それ以外の細かな知識は、インターネットで 必要な時にいくらでも取り込めるのですから。

「他者意識」を持つことの大切さ

親御さんには、ぜひお子さんが「他者意識」を持てるように導いていただきたいと思います。親子であっても別の人間である限りは「他者」であり、お互いを理解することは難しいものです。そのため筋道を立ててきちんと自分の考えを説明する、わからない時は「その説明ではわからない」と言い合える環境を整えることが大切です。そうすれば、いざ子どもが自立したり離れて暮らしたとしても、きちんと会話は成立し分かり合えるのです。

時代の変化に伴い、我々の通信手段も大きく変わりました。かつては特定の相手に手書きで書かれていた文章が、メールやSNSなどの電子情報になり、瞬時に世界中の人に拡散していきます。つまり、何気なく書いた文章でも、それは世界中の公道を歩いているようなものです。不特定多数の人が読む文章だからこそ「他者意識」をしっかり持ち、論理的に筋道を立てる必要があるのです。そうでない文章は、まるで裸で公道を歩いていると言っても過言ではないでしょう。

グローバルに活躍できる人とは、他者を受容する能力がある人で、当然、「論理」がコミュニケーション手段として必要になります。どんなに英語が話せても論理的に話せなければ意味がありません。日本語で論理的に思考できる子どもたちが、世界の舞台で活躍してくれることを今から楽しみにしています。

海外で暮らす皆さまへ

海外で生活していれば、英語を話せるお子さんも多いことでしょう。そんな子どもたちには、ぜひ日本語を理論的に使えるようにする訓練を怠らないでほしいと思います。また、日本語や日本の文化の「奥深さ」に気づくと、更に面白い世界が広がっていくこともお伝えしておきます。なぜなら、「言葉」が広がれば、君たちの「世界」も広がるからです。どこの国にも素晴らしい言葉や文化があり優劣をつけることはできませんが、中でも日本には他の国には負けない素晴らしい文化があると思います。せっかくならば、それらをできるだけ多く理解できるように日本語の「言葉」を意識的に鍛え、グローバル社会で出会うさまざまな人種・文化・背景の異なる「圧倒的な他者」とも理解し合える人になってくれることを願っています。

もう一言メッセージ

大切にしているのは「一日生きることは、一日進歩することでありたい」という言葉。一日生きたのなら、どこかで進歩していないと人間として意味がない。いきなりポンと飛躍することはないかもしれない。しかし、 気がついたら大きく変わっている、そんな風でありたい。

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