英語の習得を目指しシンガポールへ
私は、小学校3年生の時に母子留学でシンガポールに行きました。その理由は、両親が東日本大震災という未曾有の災害後、私を安全な場所に避難させたいと思ったこと、そして私自身が本格的なバイリンガルを目指し、生きた英語を習得したいと思ったためでした。
もどかしさの連続
一年目は英語が全く話せず伝えたいことも伝えられず、もどかしさばかり感じていました。友人と共通の趣味があってもそのことを伝えられず、感謝の気持ちすら表現できなかったのです。言語の壁というのは、克服するのに長い時間がかかるものだと身をもって感じた期間でした。実際にまともな会話をすることができたのは、2年目に入った頃でした。私がコミュニケーションツールとしてよく使ったのは、数学やアニメなど世界共通の話題でした。日本のアニメが好きな外国人は多いので、大いに盛り上がったものです。
スポーツ活動を糧に
言葉が通じない頃は落ち込むこともありましたが、常に心の支えでいてくれたのは母と日本人の友人でした。母はいつでも私を守ってくれましたし、友人はすべてを通訳してくれ学校生活に慣れるきっかけを作ってくれました。彼のおかげで今の私がいるといっても過言ではなく、心から感謝しています。
学校で一生懸命取り組んだのはスポーツ活動でした。最初の4年間はバドミントン、次の1年間は陸上、最後の3年間はバレーボールのチームに所属していました。スポーツは言葉の壁を超えた意思疎通ができたので、シンガポー
ル生活に馴染む良いきっかけになりました。バレーボールは、日本人会の方々にもお世話になりました。バレーボールのスキルを上達できるだけでなく、ボランティア活動や夏祭りなどのイベントに参加できる良い機会でもありました。
医学部を目指し、日本の学校へ
シンガポール生活が8年を経過した頃、将来の進路を真剣に考えるようになりました。祖母の死をきっかけに命の尊さに直面し医師を志すようになり、高2の春に日本の学校へ編入することにしました。編入対策として過去問の分析に力を入れました。学校の英語の先生に書いたエッセイを添削してもらったり、母に日本語の添削や面接対策などを一緒にしてもらいました。
茗溪学園に決めた理由は複数あります。まず第一に帰国子女に対し理解が深いことでした。実際に学校には私と同じような帰国子女が多数在籍しており、古典や数学の未修分野は入学後に取り出し授業をしてくださいました。そのおかげで、受験にも不利にならず挑めたと感じています。二つ目は学校が常に最新の取り組みをしており、生徒のレベルが高いことです。高校時代は周りの人の知性やレベルに大きな影響を受けると思い、周りの人のレベルが高ければ自分も自ずと努力をし成長できるのではないかと感じていたからです。三つ目は寮があることでした。高校2年生からの編入ということもあり、寮生活をすることで受験までの2年間、勉強に集中できるのではないかと思ったのです。
念願であった医学部への合格が叶った今、私の選択は正しかったと思います。高2からの編入で塾にも通わずに医学部に合格できたのは、茗溪学園の先生方の親身なご指導、寮生活の賜物だと心から感謝しています。
海外生へのメッセージ
私が現在の生活の中で、海外での経験が大いに生かされていると思う点は、自分にどんな人とでも会話を楽しめる「コミュニケーション力」が身に付いていると感じられること、また、何ごとも恐れずに挑むことができる精神力があることです。私自身、辛いと感じた時期もありましたが、海外で学んでいる皆さんにも、ぜひ「自分を見失わないように頑張ってください」とお伝えしたいです。自分には厳しく物ごとを冷静かつ論理的に考えることができれば、少々のことは乗り越えられると思います。
お母さまより
息子はABCしか分からない状態で海を渡りましたが、一生懸命友だちを作り言葉の壁を乗り越えようとしている姿には大変心を打たれました。本当にこれで良かったのかと自問自答する日々もありましたが、今となっては大変貴重な経験を親子で積むことが出来たと感謝しています。これからのグローバル化の時代を担う一人として、自分の手で夢を掴んでいって欲しいと思います。
※茗溪学園中学校・高等学校に関する情報はこちら
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『海外生の今』バックナンバー
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