海外生・帰国生へのヒント
Vol.12 シンガポールダンスシアター ソリスト 萬 健昌 氏 ~「当たり前」を大切に、記憶に残るダンサーを目指して~

バレエとの出会い

私がバレエと出会ったのは5歳で、当時は父の仕事の関係でアメリカに住んでいました。姉が通うバレエ教室でロシア人の先生から誘われたことがきっかけでした。当時は、バレエだけでなくピアノや水泳などさまざまな習いごとをしていました。さらには、中学時代に所属したバスケットボール部での活動に集中するため、しばらくバレエから離れた時期もありました。しかし、常に心のどこかにはバレエへの想いがあり「高校生になったら必ずバレエに戻る」と決めていたのです。それほどバレエは私の心を掴んで離さないものであり、中学卒業後はバレエに心血を注いでいたことをよく覚えています。

「日本人らしさ」に悩んだ留学生活

高校卒業と同時に、アメリカのワシントンバレエ学校に留学しました。負けず嫌いな性格から、どんなに辛く厳しいことがあっても目の前の壁をただ無心で乗り越えたことが、現在の私の礎になっています。世界中から集まる仲間を前に、体型や身体能力の差に圧倒されることも多々ありました。そのような時は「身長や手足の長さは多少劣っていても、意思の強さが一番大切である」という日本のバレエ教室の恩師の教えを思い出し、自らを奮い立たせていました。

幸いにも幼少期にアメリカで現地の幼稚園・小学校に通っていたため言語の壁はなく、仲間とコミュニケーションを楽しむことができました。一方で、海外生活が長いがゆえに、「日本人らしさ」が乏しく、日本人留学生との人間関係で悩むことがありました。次第に自分の中の「日本人らしさ」と国際舞台に適応している部分を上手く融合し、より柔軟な視点で仲間と関われるようになりました。その柔軟さは、今では「自分らしさ」という強みであり武器にもなっています。

留学中に最も感動したことは、公演終了後の拍手やスタンディングオベーションの迫力でした。ステージから見る満員の客席や、破れんばかりに響く歓声は、ダンサーにとってこの上ないエネルギーを与えてくれるものでした。日本ではまだ味わったことがなかった客席から届く躍動感は、海外でバレエを続けていこうとする私の背中を大きく押してくれました。

Vol.12 シンガポールダンスシアター ソリスト 萬 健昌 氏 ~「当たり前」を大切に、記憶に残るダンサーを目指して~

「当たり前」を続ける

現在ソリストを務めるシンガポールダンスシアターには多国籍のメンバーが所属しています。ソリストで重要なことは「個の強さや良さを引き出しつつ、周りとの調和を保つ」ことです。バックグラウンドの異なるメンバーとチームワークを育むためには、そのとき自分に求められている役割を冷静に考え、人の前に立つのか、あるいは相手を立てるのか判断する必要があります。この二つのタイミングを見極め、そのバランスを意識することがより良い作品を作り上げるために重要なのです。

また、「当たり前」を続けることも非常に大切です。バレエダンサーにとっての「当たり前」は、毎日のウォームアップやエクササイズ、そして丁寧な動きなどです。簡単に聞こえるかもしれませんが、日々続けることは決して容易ではありません。「当たり前」に誠実に取り組むことやその姿勢そのものが、バレエダンサーには不可欠であり、メンバーからの信頼にもつながるのです。もちろん、常に最高のパフォーマンスをするためには、筋力トレーニングや体調管理も欠かせません。私は料理が大好きなこともあり、日々の食生活は自炊で栄養バランスに心掛けています。

Vol.12 シンガポールダンスシアター ソリスト 萬 健昌 氏 ~「当たり前」を大切に、記憶に残るダンサーを目指して~

記憶に残るダンサーを目指して

今後もダンサーとしてたくさんの作品に出会い、多くの役を演じたいと思っています。何年経っても公演を観覧くださった方の記憶に残るダンサーになることを目標に、日々全力で邁進しています。そして将来はバレエ教室を主宰し、後進の指導に携わりたいと考えています。私自身がそうであったように、幼少期に出会う先生の影響は絶大です。正しい知識を持って指導し生徒の素質を引き出せるよう、現在も恩師の助手をしながら指導法を学んでいます。

海外生へのメッセージ

環境の変化は苦労が大きいものですが、夢中になれることがあれば順応するのも早く、ストレスを軽減できると思います。言語の壁があるかもしれませんが、異なる国籍の人とも積極的に会話をすることで、海外でしかできない貴重な体験をしていただきたいと思います。

- 編集部おすすめ記事 -
渡星前PDF
Kinderland