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建築家 藤波 美知男さん「自分に誇りを持て」 と言い聞かせて

長年海外でお子さんを育ててこられた方にご登場いただき、これまでのご苦労や貴重な体験談をうかがいます。
皆さんも「海外で子どもを育てるヒント」を見つけてみませんか。

Q : ご自身の人生を振り返り、お子さんに伝えたい ことは何ですか。

 日系のゼネコン社員としてシンガポールに駐在 していた時、ここでの生活が日本人のライフスタ イルとあまりに違い、愕然としました。仕事は定 時で終え自分の時間も楽しむ。「これこそが自分の 生き方だ」と思いました。永住を決意した私は、 一旦日本に戻って退社し、再び単身でシンガポー ルに来ました。ローカル採用で日系の会社で働き ながら、1984 年に起業。日本で取得した 1 級建築 士の資格はシンガポールでは通用しないため、自 分一人で闘うからには社名に代わる「武器」が必要、 と考え当地で建築士の資格を取ることを決意しま した。仕事をしながら猛勉強し、2 度目の挑戦で見 事合格。1988 年シンガポールで「日本人初の建築 家」になりました。 裸一貫で渡星した私が今日までこれたのは、「こ の地で成功しよう、転んでもただでは起きない」 という熱い思いがあったからです。そして常に「自 分自身に誇りを持っていた」という点につきるで しょう。この精神は豊かな人生を送るために必要 だと感じ、子どもたちにも引き継ぎ、伝えたいと 思っています。

Q : お子さんを育てる中で、どのような点で苦労さ れましたか。

 シンガポールで子育てをして、一番苦労した点 は学校選択でした。日本とシンガポールどちらの 教育を受けるかで大変迷いました。結局子どもた ちは 3 人ともローカルの学校へ通いました。日本 の教育を受けさせたい気持ちもありましたが、子 どもたちはあまり日本語が話せず、難しいと考え たからです。 母語の確立にはやはり母親が話す言葉が大きく 影響します。妻は日本語が話せないため、子ども たちはおのずと英語に強くなりました。日本語が 上手く話せないことで、通っていた日系の幼稚園 でいじめにあい、それが大きな決め手になりました。 日 本 語 は MOELC(Ministry of Education Language Centre:シンガポール教育省語学センター)で学び、 日本語検定 1 級を取得しました。現在長男は早稲 田大学理工学部建築科で学んでいます。

Q : お子さんの将来についてはどのようなアドバイ スをされていますか。

 子どもたちは 3 人とも建築家の道へ進みたいと 言っています。それは私が故意に導いたのではなく、 親の背中を見て子どもたちが自ら選んだ道なので す。 ビジネスの視点で考えると、日本語・英語・中 国語の3カ国語ができれば最強です。そこで小さ い頃から学校の他にチューターをつけ、語学の習 得には力を入れました。お陰さまで 3 人とも 3 カ国 語を流暢に話しています。 日本の大学へ行くことは、長男の意思でした。 早稲田大学の授業は日本語ですが、問題なくつい て行けているようです。シンガポールは男子には 2 年間の兵役の義務があるため、兵役に行く前に日 本の大学を受け、休学して兵役に行きました。若 い親御さんであれば問題ないでしょうが、私の場合、 息子に早く家業を継いで欲しいと考えているため、 社会に出るのが 2 年遅れることの影響は大きいで す。

Q : お子さんとの関わりで心がけたことは何ですか。

 いつも子どもと一緒に過ごす時間をつくるよう 努めています。 親自身が一生懸命やって、前へ前へと向かう姿 勢を見せるのは良いことです。 親は子どもに尊敬される人であることが理想で す。尊敬されかつ、たくさん愛情を注ぐのが理想 ではないでしょうか。子どもの反抗期に悩む親御 さんもいるようですが、それは親の愛情が足りな いからだと思います。時には言葉に出して愛情を 伝えることも必要でしょう。

藤波さんから一言

 ローカルの学校でも、国際結婚であるがゆえに いじめられ、ひどい時は血を流して帰宅したこと もありました。不憫に思いながらもどうしてやる こともできませんでした。そんな時、子どもたち には常に「自分に誇りを持て」と言い聞かせました。 アジア人の中でも、世界で認められているのは日 本だと思います。何人かと聞かれた時に「日本人」 と答えた時の反応は明らかに違うと感じます。日 本人への評価は高いと肌で感じるのです。そのこ とを理解していた子どもたちは、いじめにあって も自分が日本人であるということを隠そうとはし ませんでした。かわいそうな思いもさせましたが、 ローカルの学校を選択したことに後悔はしていま せん。

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