海外生・帰国生へのヒント
大阪大学3年外国語学部中国語専攻 川守田 愛 さん「中国語が将来の夢に」

不安を乗り越えて

 私は8歳の時に日本からシンガポールへ引っ越しました。当時は英語も中国語もまったくできませんでした。言葉が通じない不安は非常に大きく、言葉がいかに大切なものかを痛感しました。シンガポールでの最初の半年間は、言語に慣れるために保育園で週5日勉強しました。 園児たちとの学びは英語と中国語の基礎をつくるのに非常に役立ったと感じています。

 言葉で苦労していても、シンガポールが自分の居場所だという意識があったのは、家族の支えがあったからであり、私の拙い英語を理解しようとしてくれた同級生のおかげだったと思います。

シンガポール時代(小学6年生)

 

中国語の先生との出会い

 いよいよシンガポールの現地校へ入学することになったとき、言葉のことを考えて2学年下げて編入することになりました。無理に年齢相応の学年に入らなかったことで更に言葉の基礎固めができたのではないかと思います。中国語は大連出身の家庭教師の先生に一から丁寧 に教えていただきました。大連の北京語は、大陸の中でも特に美しい北京語であると言われています。そんな先生と出会ったことで、中国語の美しさと楽しさを味わいながら勉強できました。また、先生から 中国の家庭料理を教わることもあり、言語だけでなく包括的に中国文化を学ぶことができたのは楽しい体験でした。

 現地校では「母国語」の科目として中国語を選択し、現在の大学でも中国語を専攻しています。大学ではゼミを含め週に8回ほど中国に関係する授業を受けています。シンガポールにいた当初は苦手だったことがうそのようで、諦めずに継続したことで徐々に自分の強みにできたと感じています 。将来は中国語圏内に進出しているホスピタリティやアパレル関連企業に就職し、現地で新しい市場開拓に挑戦したいという夢も持っています。

現地校で日本の受験を目指す

 高校は日本で進学することになったので、現地校と日本の受験対策のギャップを埋めるために苦労しました。まず現地校で学年を2学年下げていたため、 国語ばかりでなく数学でもかなりの遅れがありました。受験1年前から塾に通い、解けない問題は次までに解くことを目標にしました。テストは納得が出来るまで繰り返し復習しました。

 理科は現地校で習った専門用語を日本語で覚えなおす作業があり、 社会科は 現地校で学んだことが日本で学ぶ内容と重なっていなかったため、一から勉強しなおすことになりました。

 現地校の勉強も決して楽ではなかったので、平日は現地校、休日は日本の勉強というようにしっかりと区別をすることでメリハリをつけていました。

シンガポールで暮らす皆さんへ

 大学では、舞踏研究会という競技ダンスサークルに所属し、全国大会優勝を目指して日々練習に励んでいます。私が競技ダンスにのめりこむようになったのは、幼いころから習っていたバレエの影響もありますが、シンガポールで学んだ「必ずしも周りと同じでなくてもいいのだ」という考えが少なからず影響しています。周りに流されず自分らしさを大切にし、自己表現する喜びが私を更にダンスに熱中させま した。

 皆さんは、「今自分がしていることが、将来何の役に立つのだろう?」と思うかもしれません。シンガポールに住んでいて英語が身につくこと、多民族国家を味わえることは、今後予想もしないところで役に立つと私は断言できます。

 また、私は帰国子女として日本の高校に入学した時、同世代のクラスメートに囲まれることがとても不安でした。でも結局は「案ずるより産むが易し」でした。皆さんにはどんなことでもいつか道が開けるということを、信じてほしいと思います。

春の学生連盟競技会

 

お母様より

 日本の高校受験を考える時期には、娘は「人は人、自分は自分」と相手を寛容に受け入れる考えを持っていました。多民族が共存しているシンガポールがとても好きで「自分はシンガポールでこのまま学業を進めていきたい」という強い意思がありました。親の判断で日本に戻させましたが、その選択が正解かどうかは未だわかりません。しかし、シンガポールでの経験から、大学では中国語を専攻し、今度は日本から中国語圏に向けて視野を広げて社会に出て行こうとしています。そんな娘を、私はとても頼もしく思っています。


※大阪大学に関する記事はこちら
https://spring-js.com/japan/674/


『海外生の今』バックナンバー
https://spring-js.com/global/global02/kaigaisei/

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