生まれてすぐに日本を離れ海外(サイパンと香港)で暮らしていたので、シンガポールに来ることにあまり抵抗はありませんでした。しかし、小学校6年生になってからの転校は、友人ができるかどうか、すぐに環境になじめるかどうかやはり不安でした。チャンギ校に初めて行った時、友達みんながとても温かく迎えてくれて、すぐにシンガポールでの学校生活にも慣れることができました。
茗溪学園での生活
両親はまだシンガポールにいましたが、僕は中学卒業と同時に日本へ帰国し、茗溪学園の寮で生活することになりました。
茗溪学園に決めた理由は、帰国生を積極的に受け入れ英語に触れられる機会も多く、自分の長所を活かすことができると考えたからです。茗溪学園は留学生がとても多く来る学校なので、ごく自然に留学生と話すことができます。そのお陰で海外生活が長かった僕でも、何の違和感を感じることなく日本の学校生活に溶け込むことができました。大変感謝しています。
寮での生活は、高校1年生から現在に至るまで、約3年になります。僕のように海外生活経験者もいますが、日本で生まれ育った友人も多く、そのような仲間と多くの時間を共有することによって、自分のどういうところが海外で育まれたものなのかに気付くことが多く、大変有意義な時間を過ごしています。
また海外ではあまり体験することがなかった「先輩と後輩の関係」を強く認識するようになり、先輩としての姿勢も学べました。昼間の学校生活とは違った意味で、得るものが多い、大変貴重な場となっています。特に3月11日の震災の時に、寮の仲間と励まし合いながら過ごしたことは、生涯忘れられない思い出です。
高校2年生で取り組む個人課題研究では、僕自身が決めたテーマである「人工光合成」と一年間向き合い、総合的な学習が体験できました。
研究の過程では、先生方や専門家のアドバイスを頂きながら、自分で計画を立て研究を進めていくことが多いのですが、海外生活で培われた、「積極的に行動する」という精神が大変役立ちました。上手くいかないことも多かったですが、その分それを克服する力も身につけられたと思います。
大学受験を意識したのは高校2年の冬ごろからです。狭い分野にとらわれるのではなく、広い分野の学問を勉強できる慶応義塾大学の理工学部に進みたいと思っていました。指定校の推薦で、今春から慶応義塾大学に進学することになりました。
将来は技術者になって、日本の技術を支える仕事に就きたいと思います。東南アジアの国にも、まだまだ豊かでない国もたくさんあるので、それらの国の暮らしが快適になる手助けをしていきたいと思っています。
シンガポール生活を振り返って
シンガポールに来る前は、「シンガポール=マーライオン」としか思い浮かばなかったことを懐かしく思い出します。シンガポール生活で出会った全ての人が今思うと大変寛大だったなぁと感じます。それは多くの民族を抱えているこの国の最大の長所であると思います。人々とのコミュニケーションに苦労したこともありましたが、シンガポールの生活を通して、英語や日本語だけでなく、その他多くの言語や文化について興味をもつようになりました。今の自分の考え方に大きな影響を与えていると思います。
シンガポールの皆さんへ
現在シンガポールで「こんな経験ができている」と、実感できる機会は少ないかもしれません。しかし、やがて日本に戻り、生活をして行く中で「とても貴重な期間だった」と気付くときが必ず来ると思います。これは今の僕にとって、日本での生活の楽しみの一つでもあります。
そして、「これこそが自分の長所だ」と思ったことは是非積極的に伸ばしていってください。帰国子女である自分に自信がもてるようになります。できるだけ多くのことを体験して、シンガポールでの時間を充実したものにしてください。
お母様より
健康で丈夫な体に育つことを願い、幼少のころより水泳やサッカーに取り組ませました。シンガポールでもスポーツを通じて人間関係も広がり、多くのことを学ぶことができたと感じています。
高校では親元を離れて寮生活となりましたが、茗溪学園の先生方を始め多くの方々に支えられて、会うたびに成長した姿を見ることができました。
当時はまだまだ未熟な点も多い15歳でしたが、初めて暮らした日本で息子を支えてくださった多くの方々に心より感謝しています。
※茗溪学園中学校・高等学校に関する情報はこちら
https://spring-js.com/japan/968/
『海外生の今』バックナンバー
https://spring-js.com/global/global02/kaigaisei/
※本文は2012年1月20日現在の情報です。