海外で育つ子どもたちはどのように未来へ向かって歩んでいけばよいのか、親が出来ることとはいったい何なのか。専門家から進路や将来を見据えたアドバイスをいただきます。
はじめに
『Spring』が創刊1周年を迎えられたことをお祝いいたしますとともに、今後の益々のご発展を心からお祈りいたします。
「シンガポールで暮らすファミリーに送る本格的教育マガジン」という謳い文句で2011年にデビューされてからのこの1年の間には、さまざまなご苦労があったとお察しします。
シンガポール在留邦人向けのフリーペーパーが数種類ある中、はじめて教育問題に特化した内容のフリーペーパーとされたことは画期的である半面、それがゆえに、運営面で他のフリーペーパーとは異なる試行錯誤を続けられていると思いますが、この1周年をひとつの契機として、更に誌面が充実したものになることを期待いたします。
海外における子育て、特にシンガポールで子育てをすることのメリットについては、既刊の『Spring』において、実際の教育現場に携わっていらっしゃる方々から専門的な詳しい話が掲載されています。
私のように子育て時代を過ごしたのがずいぶん昔であり、しかもほとんど妻に任せきりで、子どもは私の背中を見て育ってくれていたなら幸いだとしか言えない者が、現在海外で子育てに奮闘していらっしゃる保護者の皆さんに対して何かものを申し上げるのもおこがましいと思いますが、私自身も帰国子女の走りとしてそれなりに苦労した経験と、次に親として自分の子どもたちを海外で育てた経験、シンガポールに来てからの2年弱の間に見聞きしたことを踏まえて、個人的な雑感を書いてみたいと思います。多少なりともご参考になれば幸甚です。
シンガポールの国民性と今後
申し上げるまでもなく、シンガポールは我々日本人にとっては世界でもっとも暮らしやすい国の一つと言えます。良好な生活環境だけではなく、約518万人(2011年6月現在)の人口のうち、約3割が外国籍であるということや、シンガポール国民・永住者でも、中華系、マレー系、インド系、ユーラシア系、その他と様々な人種が混ざり合った多民族都市国家であり、国民の一体感を醸成するため多様な言語、宗教、生活習慣を積極的に取り入れようとする姿勢が、シンガポールを国際的で開放的なところにしています。シンガポール国民としての固有のアイデンティティーの形成にこの国の為政者たちは苦労しているという話も聞きますが、今日の世界を見ると、どこの国にも国際経験を積んで、国を超えた共通の価値観や感覚を持つ人が増えてきています。大きな国では、そのような人たちは比較的少数派ですが、シンガポールの場合は国民のかなりの割合がそのような国際感覚をもっていることがシンガポール人の一つのアイデンティティーなのではないかと思います。それ故にシンガポールが住みやすいと感じる外国人が多いのではないでしょうか。
そのシンガポールにおいても昨年5月の総選挙で、国民の多くがまずシンガポール国民を大切にしてくれという声をあげました。シンガポール政府は、そのような声に応える形でいくつか施策を取っています。今の国際社会が依然として国家を基本単位として成り立ち、国家がまず自分の国民の利益を守ることを前提としている以上、人も企業も国境を越えて活動する中、自国民と外国人の利害をどう調整するかは各国政府の直面する大きな課題ですが、国を開放して国際化を続けていかない限り経済の発展はないという現実から目をそむけた対応はどの国も取れないと思います。
父として
皆さんのお子さんは、日本人学校、インターナショナル・スクール、現地校と、通っておられる学校はそれぞれのお考えやご事情でさまざまだと思います。
私の場合は、3人の子どもがそれぞれ高校1年、中学1年、小学校4年の時にジュネーブに赴任致しました。英語も、ましてやフランス語も3人ともまともに喋れませんでしたが、インターナショナル・スクールに入れました。日本人学校は補習校しかなく、フランス語ができないので現地校に入れるわけにもいかず、選択肢が限られていたといえばそれまでです。余り教育熱心ではない父親でしたが、この時ばかりは学校選びから、入学、そして授業についていけるようにするため、頭を痛めました。
今日、各国の異なる学校制度の間を行き来せざるを得ない子どもたちが不利にならないようにするために、いろいろな制度が整いつつあると思います。私が帰国子女として日本の学校に編入された時代とは隔世の感があります。私の上の2人の子どもは国際バカロレア(以下、IB)をとって高校を卒業しました。反省を込めて言うと、当時はIBの情報も少なく、私も妻も子どもと一緒にIBとはどのような制度か、日々学びながら対応したので、手さぐりで情報不足だったと感じます。新しい学校、違った環境で、先生や子どもの同級生の保護者の方々との人間関係も作らねばならず、情報を得るのは容易ではありませんでした。特に高校1年で編入し卒業までの時間が少なかった上の子どもには適切な指導をしてやれず、本人は苦労をしたと思います。その苦労は無駄ではなかったはずだと勝手に思っていますが、親として情報収集にもっと意を用いてやれなかったかと反省しています。
グローバルな教育とは
今はIBあるいはSAT(アメリカの大学が国内生、海外生の志願者に受験を要求する共通テスト)についての情報も得やすいと思います。またOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査(PISA)のような調査を通じて各国の教育制度や学校の国際比較も比較的容易にできるようになり、皆さんのお子さんが受けられている教育や通われている学校が国際的にみてどのような位置付けにあるか、さまざまな情報を得やすくなっていると思います。情報はなるべく集めるに越したことはありません。そうすることでいろいろな可能性がよりよく見えてくると思います。
ニューヨーク・タイムスのコラムニストで、「フラット化する世界」などのベストセラーの著者でもあるトーマス・フリードマンも最近のコラムの中でPISAに触れています。グローバル化に対応した教育という意味でシンガポール、フィンランドといった国との比較でアメリカの学校教育の遅れを心配しています。またアメリカの保護者たちが、自分の見える範囲内だけで学校を判断して「良い学校に子どもが入学できてよかった」と安心して良いのだろうかとも言っています。その点シンガポールは小さな国にいろいろな学校があるので、フリードマンが言う広い視点から学校や教育制度を見る環境が整っているのではないでしょうか。
よく言われることですが、グローバル化した社会の求める人材とは世界で今後起きる変化への鋭い感受性を持ち、その変化の本質を見抜く力のある人たちです。そのような人材を育てるための優れた教育システムとはどのようなものか、ここシンガポールは考えやすい環境があるような気がします。
母語の確立、アイデンティティーの大切さ
国際比較をしながら、どのような教育をお子さんが受けたらよいか考えるといっても容易ではないでしょうし、自分に照らしてみればそんなことはできそうにもありません。まずは、お子さんが高校を卒業して大学に入るまでは一貫した環境において勉強できるようにしてやりたいというのが保護者の皆さんの思いでしょう。私もそうでした。
「一貫した教育制度の下での教育」という意味だけではなく、多感な時期に自分なりの価値観、世界観を形成する上で「友達や先生との関係を将来にわたって持続できるような環境にお子さんをおいてあげる」という意味での一貫した環境も大切だと思います。
私の場合、なかなか現実にはそういきませんでしたが、私の親が自分にしてくれたように、私も限られた範囲内でなるべく子どもには一貫した環境で教育を受けられるよう考えました。
私もご多分にもれず、子どもが海外で教育を受ける以上、国際感覚豊かな人間になってもらいたいとも思いました。「国際感覚」といっても抽象的ですが、私の場合は「日本人としてのアイデンティティー」と「日本語」をしっかり身につけてほしいと漠然と考えました。そうすることで、日本の良いところも悪いところも、他の文化もよりよく理解できるのではないかと思ったからです。
日本人学校においても「豊かな国際感覚をもち、世界の人々とつながろうとする人材を育成」することを理念に教育が行われていると伺っております。シンガポールには、日本に住んでいてはなかなか得られない異文化とのふれあいの中で、お子さんたちがご自分のアイデンティティーについて皮膚感覚で考えるきっかけがたくさんあると思います。
私は自分の母国語を持つことは大変重要だと思います。これは、必ずしも日本語である必要はありませんが、しっかりとした思考を論理的にできる言語を一つは持つという意味です。塩野七生さんが書いておられる本をお読みになった方も多いと思いますが、英語をワーキング・ランゲージとして積極的に採用するのは良いが、全員が中途半端な外国語でコミュニケーションをしているだけでは詰めた議論や思考はできないという指摘は、私もその通りだと思います。それを個人のレベルに置きかえれば、お子さんが成長過程でしっかりとした思考をもって、自分のアイデンティティーを形成していくためには、そうした思考を可能にする言語を一つは持っていることだということになるのでしょう。同時にひとつの言語でしっかり物事をつめて考えられるということが他の言語をきちんと習得するうえでも役立つと思います。「母国語」というくらいですから、ご家庭でお母さん方が話す言語ということに自ずとなるのでしょう。
真の国際化とは
今日のグローバル化の特徴の一つは、各国の固有の生活、文化、衣食住から教育、医療、さらに仕事のしかたも含めて、多くの国の人が優れている、あるいは親しみやすいと感じる普遍性のある方式が、多くの人々に支持されて、世界的に広がっていくという現象であるということを、シンガポールに暮らしておられる皆さんはよくご存じだと思います。
国際感覚の豊かな人は、このような普遍性のある、多くの人に支持され、世界の主流になっているライフスタイルや考え方に対する感受性の鋭い人ではないでしょうか。このような感受性を子どもの時に身につける機会を持っている皆さんのお子さんは、これからの世界で生きていかれるうえで、有利な環境にあると思います。なるべくそのような環境にいるメリットを生かせるよう、さまざまな考え方や価値観にお子さんが触れる機会を作ってあげていただきたいと思います。
そのような感覚のある人は、国際的に見て優れたものを見出す感覚だけでなく、日本の文化、あるいはライフスタイルの中にある普遍性のある価値を見出す力も備わっていると思います。
日本では長い間、国際化とは「外国へ出ていくことだ」という感覚が強かったと感じます。しかし、アジアの活力を取り込んで、アジアとともに繁栄していく日本を目指すのであれば、これからは日本の国を開いて「内なる国際化」を本格的に進める時代です。日本が、内なる国際化を積極的に進めて来たシンガポールから学べるところは多いと思います。
教育面でも日本国内でグローバル30(文部科学省「国際化拠点整備事業(大学の国際化のためのネットワーク形成推進事業)」)に採択された日本の13の大学で、英語だけで学位取得ができるコースが開設されるなど「内なる国際化」の動きが本格化し始めています。そうしなければ大学も日本も生き残れないことに気づき、その状況への対応が始まっています。
日本国内外問わず、常にグローバルな視点で物事に対処できる将来有望な人材や、他の国の人たちの考え方や価値観を柔らかい頭で理解し、相手の立場に立って自分の主張を展開できるコミュニケーション能力を備えた人材がますます必要な時代が来ます。ここシンガポールでの貴重な滞在経験をきっかけとして、そのような人材が次々と生まれ、国際社会における日本の再活性化のために、日本国内外問わず活躍されることを願っております。
※本文は2012年9月25日現在の情報です。
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