2020年度からの本格的な大学入試改革 、小学校での英語必修化など、日本では英語教育が新しい局面を迎えています。海外に住む保護者にとって、我が子が「海外生」「帰国子女」としていかに英語力をつけるかは最重要課題と言っても過言ではありません。今回は、母語と英語を両立した「バイリンガル」の子育てや、その留意点について、立命館大学大学院で第二言語習得論を研究する田浦秀幸教授にお話をうかがいました。
立命館大学大学院・言語教育情報研究科 田浦 秀幸 教授
シドニー・マッコリー大学で博士号(言語学)取得。大阪府立高校および千里国際学園で英語教諭を務めた後、福井医科大学、大阪府立大学などを経て現職。 バイリンガルや日本人英語学習者を対象に言語習得・喪失に関する基礎研究に従事。その研究成果を英語教育現場に還元する応用研究も行っている。著書に「科学的トレーニングで英語力は伸ばせる!」など。パートナーはオーストラリア人、二言語環境での子育ての大変さを痛感する父親でもある。
「バイリンガル」の定義は一つではない
「そもそもバイリンガルとは?」と訊かれることが良くありますが、実は研究者の間でも、バイリンガルの定義は一つではありません。一般的には、第二言語でも美しい発音で流暢に話し理解できる人のことを「バイリンガル」と考える方も多いでしょう。日常会話での流暢さは、2年程度と比較的短い期間で身につけられます。さらに、読み・書きに支障がなくなり、文化的な背景も理解できる「言語認知力」を習得するには、個人差はあるものの7~10年はかかると言われています。
完璧な「バイリンガル」は数%以下
完璧な日本語と英語(あるいは別の言語)の話者であり、いかなる状況でも両方の言語を使いこなし、新聞レベルを読解でき且つ投書もできるバイリンガルは、実は少数派です。世界中の多言語を話す話者のうち、そのようなバイリンガルは数%もいないと言われています。また、本帰国などをきっかけに言語環境が大きく変化すれば、バイリンガルの水準を維持することは容易ではありません。
胎児にも影響することばの環境
私の研究では脳の働きも調査しており、とても興味深いデータがありました(図参照)。片親が英語話者である場合など、胎児の段階から英語の音を聞く環境にいると、生まれてからも左脳を効率的に使い、右脳をあまり使わずに英語を楽々と使う力を身につけています。 妊娠3ヵ月の頃から胎児は聴覚を持つため、生まれる前からこのように環境が影響を与えています。図で示されているとおり、英語圏滞在開始年齢により、たとえ同じような流暢さに聞こえても、右脳の関わりが年齢と共に大きくなることがわかりました。
田浦秀幸著「科学的トレーニングで英語力は伸ばせる?」より
0~6歳は英語環境にいるだけでも効果的
生まれてから1歳までの間は、脳ではどんな言語でも聞き取れる回路が存在しています。ところが、ある言語を聞かなくなると、不要な回路が刈り込まれます。 ヨーロッパのように出生以降多言語に囲まれた生活環境では、4つも5つもの言語習得が可能なのはこのためです。
0~6歳までの未就学児には日本人のお子さんでも、家庭内外で英語環境にどっぷりと浸かることで、英語は自然と身につきます。そのため、乳幼児期初期を日本で過ごし、その後海外に出て英語中心の幼稚園に入園して適応することは、とてもたやすいことです。ただし、就学前のお子さんの言語喪失も非常に短期間に起こりますので、日本語の保持もとても大事になります。
小学1~4年生では一貫した言語環境を
具体的事象から抽象的概念を理解するタイミングであり、勉強がわからない子が増える時期を「10歳の壁」と呼ぶことがあります。実は言語習得においてもこの年齢は、非常に重要な意味を持ちます。日本語であれ、英語や他の言語であれ、小学1~4年生では一貫した言語環境を整えてあげることが大切です。母語の基本(文法や音声など)は就学前に自然習得しますが、読み書きの能力は小学校入学と共に学習が始まり、確固なものにするのに3年かかります。その後、抽象的思考力や他人の心情を推し量る力の養成が小学校4年生から始まります。言語環境が変わっても日本語力を年齢相当に伸ばしてあげることで、別言語も日本語と同じレベルまで伸張されます。
例えば、ご家族に二人のお子さんがいる場合、上のお子さんが小学3年生まで日本で勉強しているのであれば、外国に引っ越しても当初一年間は特に年齢相当の日本語教育が必須です。反対に下のお子さんはまだ未就学児であれば、はじめから英語環境でも問題ないということになります。10歳までを一つの言語で土台を築くことが、その後の思考力や言語習得においては極めて大切になるのです。
帰国生の落とし穴「セミリンガル」
多くの帰国生が直面するのは、一見ペラペラと話せるのに、どの言語でも誤りが目立つ「セミリンガル」に陥る危険性です。実際は中学1年生なのに小学3年生の思考力のままであることもあり得ます。このような場合親御さんには、お子さんの自信喪失やアイデンティティー・クライシスへの「心のケア」に注力しながら、根気よく年齢相当の日本語力の養成をサポートして欲しいと思います。モノリンガルにはない柔軟な思考力や、2つの文化を理解できる力は人生で活かせる時期が必ず来ますので、「100%自分を自分として受け入れてもらっている」と、お子さんが安心して過ごせる家庭環境をお作りください。
英語保持のためには「毎日2時間」
帰国後の英語保持について、迷われている方は多いでしょう。英語保持には、「意味のある英語」への取り組みを「毎日2時間」継続する必要があります。これは長年にわたり帰国生を追跡し、 第二言語を喪失する過程を研究することで明らかになりました。
例えば学校が忙しいからと、週末の英語保持教室だけに頼るのは効率が悪く、あくまで「毎日する」ことに意義があります。「意味のある英語」とは、年齢相応の英語で誰かと話す、友人にメールを書く、本を読む、英語でお稽古をするなど意識的な関わりのことを示します。また、これは日本のお子さんが、海外で学年相当の日本語を保持するときにも言えることです。現地校やインターナショナルスクールに通うお子さんは、ご家庭では毎日最低2時間は日本語と関わることをおすすめします。そうでないと、あっと言う間に母語を喪失することになってしまうからです。
保護者の皆さまへ
第二言語の習得や帰国後の保持という意味では、環境を提供する保護者の役割は大変大きいものです。 私も、すでに社会人になった息子から未だに「オーストラリアにいた時のお父さんとの漢字の勉強は、本当に辛かった」と言われることがありますが、それほど母語保持には気をつけました。
第二言語の習得過程においては、いろいろな迷いや悩みを伴うものです。しかし、多くの帰国生のその後を追跡し、すでに社会人として活躍している彼らからは、「30歳前後で帰国生としての自分の立ち位置に自信を持てるようになった」という言葉を異口同音に聞きます。アイデンティティーは、後からじわじわと確立するものですので、皆さんにはお子さまの成長を信じて、気長にその時を待っていただきたいと思います。
途中のご苦労は、愛情いっぱいの親子関係でしか埋められません。お子さんによって成長の速さとタイミングには個人差があるものだと考え、あまり無理をせずお子さんをよく観察しながら、励ましていただきたいです。
「言語習得」で悩みがある場合には、専門の研究者に可能な限り早めに相談することが大切です。また、帰国受験や日本での編入を経験した直後の先輩のお母さんや、かつて帰国生であった社会人のお話など、色々な角度から情報収集をし、さまざまな事例があることを理解してください。Springにもそのような方のための情報発信を今後も期待しています。
バイリンガル一問一答
Q. 言語習得に男女差はある?
経験則では、女性の方が話し上手で幼児期の発語も早いため、言語に強いというイメージがあります。しかし、実際は男女差を証明する研究結果は驚くほどありません。
Q. 兄弟姉妹の差はある?
一般的に、海外で育つ第一子の場合、両親を独占できるので日本語の力がつきやすくなります。次に生まれた子は、すでに兄か姉が英語ができたり、その兄や姉の外国人の友だちとの関わりが増えるため、日本語が弱くなり第二言語が強くなる傾向があります。ただし、前述の通り、日本から海外へあるいは帰国したときの子どもの年齢が言語習得の鍵になります。兄弟姉妹であっても同じ習得過程を辿らないことは覚えておきましょう。