グローバル教育
なぜ「国際バカロレア」なのか | 第3回 保護者の素朴な疑問にせまる編

教育改革が喫緊の課題である今、日本の学校でも「国際バカロレア(IB)※1」の導入が進んでいます。「よく耳にするIBって一体なに?」「日本語で学べるって本当?」「日本の大学には入れるの?」など、素朴な疑問にIBアジア太平洋地区委員がお答えします。 国際バカロレア機構アジアパシフィック地区委員 坪谷 ニュウエル 郁子氏 国際バカロレア機構アジアパシフィック地区委員。文部科学省とともにIBの普及に取り組む。IB認定校でもある東京インターナショナルスクールの創立者。二児の母親としても、IBを経験。近著書に「世界で生きるチカラ 国際バカロレアが子どもたちを強くする」など。

Q. 従来の日本の教育よりIBの方が優れているのでしょうか。

「次世代に向けて学ぶべきは、これまでの日本の教育プラス『主体性』」 日本の教育は実に素晴らしいと私は考えています。先進国の中でも、日本ほど国民の平均的な基礎学力が高い国は少ないと思います。また、教育の場に掃除や給食の当番があるなど、「自分のことは自分でする」教育、公共心を養う試みも素晴らしいと感じます。世界中の人と接してみて、日本人がすぐれていると感じることは「誠実で働き者」、そして「利他的」であることです。この精神こそ、次の世代が目指すべき社会だと言えるでしょう。 その一方で、国際化、IT化が進む現代では、日本の中だけで生き抜ける時代ではなくなりました。米デューク大学の研究者キャシー・デビッドソン氏が2011年に「今年アメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」と言ったことは教育業界にとっても大きな衝撃でした。19世紀末から基本的な構成が変わっていない教育システムに、大きな変革が迫られたのです。来るべき時代に必要な能力、つまり21世紀型の能力を備えるためには、「教育」を変えていかなくてはならないのです。その動きは、日本だけでなく世界にとっても 大きなうねりとなり広がりを見せています。 大切なのは「バランス」です。これまでの教育に「あなたはどう考えるのか」「さまざまな考えの中から、あなたは何を選択するのか」という視点、つまり「主体性」を加えることが大事なのだと思います。これまでの教育を否定するのでなく、更に必要な要素を加えるのが大切でしょう。 PYP、MYPから学ぶ喜びを培いながら、将来のIBDPへ備える 写真提供:国際バカロレア機構

Q. IBは「万人向け」ではなく一部の「エリート教育」なのでしょうか。

「世界でも公立校に導入する動きが顕著。IB加盟校の半分以上は公立校」 世界的に見ても、公立校にIBを導入する動きが顕著になっています。主として米国、増えているのが南米、欧州でも特にドイツ等です。米国では公立が圧倒的に多く、裕福でない家庭の子どもたちが通う学校にIBを導入したところ「大学進学率の上昇」「非行率の低下」など良い結果が実際に表れています。つまりIBは決して富裕層を対象にした「エリートのための教育」ではないのです。現在は世界でIB加盟校の半分以上は公立の認定校となっています。

Q. 日本でIBを学習する場合、まだまだ学費の負担が大きいです。国からの助成の可能性はないのでしょうか。

「各都道府県に必ず一校のIB校を目指します」 IBを日本で導入することが決まって以来、「経済格差が教育格差」にならないよう、努めてきました。学費の他にも、例えば、DP※2生は卒業試験代だけでもUS$850かかります。IBは国民全体に対するプログラムではないので、税金を投じるわけにいかず、文科省からの援助は得られません。そこでIB学習者を支援するための財団を創設しました。すべてのIB学習者が安心して学べるように、セーフティーネット *を張っていくつもりです。 現在は、文科省と共に「各都道府県に必ず一校のIB校を!」を目指して取り組んでいます。地元にゆかりがある企業に寄付をいただきながら、授業費などの一部を負担していただくものです。グローバル教育というと東京や海外を連想しがちですが、まずは地域ごとに高い志を持つリーダーを育て、皆で地域を牽引する活動を支援したいと思っています。これまでは公立校に企業のお金が直接入るスキームがありませんでした。現在は札幌をモデルケースに進めており、これがうまく機能すれば 他の自治体も追随すると考えています。過疎化が進んでいるような自治体こそ是非グローバル教育に目を向けてほしいのです。 * 一般財団法人 世界で生きる教育推進支援財団については下記リンクをご参照ください。

http://www.sekaideikiru.com/

Q. PYP※3、MYP※4を学ばず、DPだけを学習する意義はあるのでしょうか。

「勉強量が多いDPを学習することは有益。できればMYPからが理想的」 IBで価値が置かれているのはPYP、MYP、DPを通して「10の学習者像※5」になることです。つまり、IBは「エリートになる」ためでも、英語が流暢に話せるようになるためでもなく、学習姿勢を身につけることが目的です。 PYPから学習することによりIBが求める「全人教育」は達成しやすくなるでしょう。実際のところ、IBを長年学習しているのと短期間だけとでは最終的に効果に差が出ると感じています。DPは、そのスコアが世界2,000以上の大学で非常に高い評価を得ています。大学入学審査の案件にも用いられており、学校に行くときはその課題のリサーチは終わっている前提であるほど家庭学習が必要です。勉強量が多いのでDPを学習することは生徒にとって非常に有益だと思います。つまりDPだけでも意味はありますが、できればMYPからDPの流れがあるとより良いと思います。 IB校を設立・運営すると共に、母親としてわが子の学習課程を傍らで見て感じたことは、PYPから学習していると、どの生徒もMYPが終わる頃までに自らの得意分野や関心の高い科目を見いだすことができるようになっているということです。 そして将来の自分ができる社会貢献の形が、得意科目・分野の延長線上と考えて DPの科目を選択することになります。仮にMYPを経ていない場合、どの科目で点数が取り易いか、という短絡的な視点で科目を選択しがちです。DPへの大切な準備期間がMYPだと感じますので、少なくともMYP-DPという2つの流れがあると有意義だと感じます。 IBの学習者像では「不確実な事態に対し、ひとりで、または協力して新しい考えや方法を探求する」ことを目指す。 写真提供:国際バカロレア機構

Q. PYPは探究型学習重視で、学年相応の知識が身につかないのではと不安を感じます。

「学校独自の補足的取り組みで、十分な知識は得られる」 どのIB導入校でも同じような質問を受けています。学校ごとに、特に算数や読み書きにおいて高い基礎学力を身につけるべく独自の取り組みをしているようです。PYPでも学年ごとの到達目標を定めているので、教科融合型学習と言っても算数と読み書きは強化するように、カリキュラムのサイドから補足的に入れているのです。

Q. IBでは多読が求められますが、読書力のない子には不向きでしょうか。また、向く子、向かない子はありますか。

「世界のIBDP学習者の80%が修了しており、万人向きと言えるでしょう」 生徒が10人いたら10通りの学び方があります。生徒の資質というよりは、学校の受け入れ態勢で状況は変わるように思います。例えば、従来の日本の公立校のように、1クラス40人構成ですと 難しいことでも、20人であれば、ある程度個別 対応が可能になります。IBの運営では、そこが重要だと思います。 子どもの年齢や、成長過程でも状況は大きく変わるでしょう。私の下の子は本に興味を示さず、どうなるのかと不安でした。しかし、高校生になるとDPで読まなくてはならない本が結構あるので、気がつけば自然に本を読むようになっていました。 子どもは年齢的な発達によって興味の対象が変化していくので、幼少期の段階で向き不向きを決めつけない方が良いと思います。保護者は短期的な視点で子どもを見がちですが、教育はことさら長い期間を要するものです。興味や習慣は途中で大きく変わりますから、現時点で判断して否定的にならず、長い目で見守りましょう。どのカリキュラムでも、100%の生徒に合うものはありません。世界的にはDP 修了者は80%にのぼるのですから、充分万人向けと言えるのではないでしょうか。

Q. まだ子どもが小さい場合や、IBの学校に通っていなくても家庭でもできるIB教育はありますか。

「会話からものの捉え方を膨らませて」 PYPのキーコンセプトである「8つの角度」をご家庭での会話におすすめします。 8つの角度 形式:それはどのようなものか? 機能:それはどう機能しているのか、役割は何か? 要因:それはどうしてそうなったのか? 変化:それはどのように変わってきているか? 結びつき:それはどんなものと、どうつながっているのか? 観点:どういう違った視点があるか? 責任:私(達)がしなければいけないことは何か? 振り返り:どこまでわかったか?どうしたらわかるのか? 身の回りにあるものを取り上げ「それは何か?」と考えることは、一つのテーマを突き詰めて考え視点を変えて物事をとらえることになり、その思考のプロセス自体が探究です。例えば、目の前にチョコレートがあるとします。それをお子さまと共に、「原産地はどこか」「誰が作ったのか」「どのように流通してきたのか」「役割は何か」などを話し合ってみるとしましょう。一粒のチョコレートから、ものの捉え方が大きく膨らむに違いありません。 IBの学習者像に近づくことは、ご家庭での会話や家族での活動を通してもできることだと思います。是非ご家庭で実践してみてください。

Q. 「日本語IB」※6 は世界で通じるのでしょうか。

「DPでの最終結果では、『何語で学んだか』は記載されない。スコア※7に英語力試験を追加すれば良いだけ」 写真提供:国際バカロレア機構 ご心配されている理由は、恐らく英語力の部分でしょう。日本語で学習した生徒が英語圏の大学に行きたければ、TOEFLなど、語学力を証明する必要が あります。つまりその要求水準を満たせば日本語でDPをとっても心配ないということになります。 IBの中でもPYP、MYPは母語で学ぶことを推奨しています。DPだけがなぜ英語、フランス語、スペイン語(2016年11月からは日本語も)に限定されているかというと、最後に行われる世界共通統一テスト(北半球では5月、南半球では11月に実施)の試験監督をそれぞれの国の言葉で養成するのが難しいためです。DPを取得した際の成績証明には「何語で学んだか」は書かれていません。つまり、DPで40点取得した生徒がどの程度の力を持っているかは世界共通で認識されます。日本語で40点でも英語で40点でも、学力は同じと考えられるのです。

Q. IB教育を、新しい英語教育の一つと誤解されているようなケースもあります。そもそも、「グローバル教育=英語教育」なのでしょうか。

「グローバル教育と英語教育は別の次元。英語教育に早道はない」 私は必ずしも英語が話せなければいけないとは思いません。とは言っても現実的に「国際語」として通用するのは英語です。「国際語」が習得できれば進学や職業の選択肢などいろいろな意味で幅が広がりますから、できるにこしたことはありません。英語教育に必ずしもゴール設定をしなくても良いと思います。グローバル教育と英語教育は全く別の次元なのです。 語学の習得には早道はありません。一般に日常会話に困らないレベルになるには2,750時間、学術的に困らないレベルには8,000時間を要すると言われています。早道はなく、絶対数をきちんとやらないと不可能なのです。以前米国のマイクロソフト社を訪問しましたが、窓越しに瞬時に翻訳されている教室の風景や20数カ国語をボタンを選択するだけで同時通訳してくれるシステムの開発を見せていただきました。そういう時代はもう目の前なのです。機械にとってかわられるという職業65%の中には恐らく通訳も入るのではないでしょうか。

Q. 海外大学を目指さない人がDPを取得する意味はありますか。

「国内でもIBDPスコアのみで医学部へも入学可能。2021年度までに国立大学の入試でAO・推薦・国際バカロレアが定員の30%へ」 日本にIBDPを導入する際、心配していたのが日本の大学がIBを受け入れてくれるかどうかでした。2年前「2018年までにIB認定校を200校に」という目標を掲げた時には、IBを入学要件として認める大学/学部は日本にごくわずかしかありませんでした。既に世界の大学では認知されていたにもかかわらずです。何としても日本の大学の門を開けようと、2013年に初めて国際バカロレア日本アドバイザリー委員会を開きました。参加された各大学の学長・副学長の支援や、特に首長を引き受けて下さった前駐米大使の藤崎一郎先生、文部科学省のお力添えにより、各大学が次第にIBを受け入れてくれたのです。 IB入試の実施状況(平成27年10月現在)

全学部導入一部学部導入導入予定・検討中検討中 (時期未定)
筑波大学 岡山大学 国際教養大学 立命館アジア太平洋大学 玉川大学 関西学院大学 工学院大学 鹿児島大学東京外国語大学 横浜市立大学 慶應義塾大学 順天堂大学 立教大学 国際基督教大学 早稲田大学 大阪大学 ◎ 上智大学 ◎北海道大学(平成30年度) 東京大学(平成28年度) 京都大学(平成28年度) 広島大学(平成28年度) 九州大学(平成29年度) 東京芸術大学(平成28年度目途) 金沢大学(平成30年度以降) 京都工芸繊維大学(平成29年度以降) 東洋大学(平成28年度) 法政大学(平成28年度) 創価大学(平成28年度) 立命館大学(平成27年度以降) 東北大学(平成29年度) 大阪市立大学(平成28年度)東京医科歯科大学 東京工業大学 名古屋大学 千葉大学 長岡技術科学大学 豊橋技術科学大学 熊本大学 会津大学 芝浦工業大学 明治大学 お茶の水女子大学

◎大阪大学は平成29年度、上智大学は平成28年度より全学部で導入予定。出典:文部科学省HP詳細は文部科学省ホームページをご参照ください。 http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/ib/1356318.htm 現在は、各大学がIBを受け入れ始めています。昨年度、筑波大学と岡山大学でIBDPのスコアのみで医学部に入学者が出ました。今年9月に国立大学協会が2021年度までに国立大学はAO・推薦・国際バカロレア入試を定員の30%まで受け入れるというアクションプランを掲げました。これが採択されれば、海外居住者も海外から日本の国立大学の望む学部へ入学できる道ができたことになります。

Q. どこの国の大学に進学するか決めていない人がDPを取るのはリスクがあるでしょうか。

「IBDPの取得で日本の大学進学にも有利に」 日本の国立大学も急速にIBDPを受け入れているので、かえってIBDPを取った方が大学に入り易いというところまできたという印象です。まだ地域によっては差がありますが、大学は続々と入学要件として認めてきています。 親御さんの立場ではIB学習者の進学先が気になるところでしょう。現在SGU(スーパーグローバル大学)※8の認定校は37あります。SGUは申請時に、IB入試の検討状況を報告する義務が生じます。つまり、SGU認定校はIBに門戸を広げると宣言したのです。SGUに選ばれた大学や応募をした大学は既に検討を始めています。 進学希望の大学が日本であれば、IBと従来の入試のスタイルと比較してもマイナスにはならないでしょう。前述の通り、47都道府県で各一校の公立IB 校を目指すとともに、各県でIBの受け入れを推進しようとしています。それが叶えば、IBはより身近になります。

用語集

★※1 国際バカロレア(IB): スイスに本拠地を置く非営利財団国際バカロレア機構が提供する3~19歳を対象とする教育プログラム ★※2 DP: 16~19歳の生徒を対象とした大学入学準備課程(Diploma Programme)。6教科 ★※3 PYP: 3~12歳の児童を対象とした初等教育(Primary Years Programme)。6教科を横断的に指導する ★※4 MYP: 11~16歳の生徒を対象とした中等教育(Middle Years Programme)。8教科 ★※5 10の学習者像: 国際バカロレア機構が示す学習者像。「探求する人」「知識のある人」「考える人」「コミュニケーションができる人」「信念を持つ人」「心を開く人」「思いやりのある人」「挑戦する人」「バランスのとれた人」「振り返りができる人」 詳細は http://www.ibo.org/globalassets/digital-tookit/brochures/what-is-an-ib-education-jp.pdf へ ★※6 日本語IB: 従来は指導言語とされていなかった日本語の使用を認め、二カ国語(英語・日本語)によるIBDP。現状ではIBDPの6科目のうち、2科目は英語、4科目は日本語で履修可能 ★※7 スコア: IBDPでの満点は45点 ★※8 SGU: 文部科学省による「スーパーグローバル大学創成支援」に採択される大学。トップ型13大学とグローバル化牽引型24大学がある(平成26年度)

編集部より

「グローバル教育」と聞くとつい外の世界に目を向け、今までの日本の教育とは全く異なる何かを想像しがちです。しかし、それが意味することと今までの日本人が培ってきたものには共通点がある。つまり、日本の教育の良い点は維持し、社会の変化に対応するために不足している部分を追加していくという発想が、日本でのIB導入の根幹にあるのではないかと、坪谷氏のお話をうかがって思いました。 IB教育を子どもに受けさせるか否かは別として、IBが目指す「10の学習者像」や「8つの視点」を家庭に取り込むことはできそうです。今回の特集で、遠くにありそうな国際教育を少しでも身近に感じていただけたらと思います。新年号ではIB特集はお休みし、4月号(3月25日発行)に続きます。 取材協力: 東京インターナショナルスクール、文部科学省、国際バカロレア機構、国際バカロレア日本アドバイザリー委員会

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