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みんなが知りたい!「バイリンガル」の育て方 ~体験者がリアルに語る、当時そして今~

2016.09.23

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「海外生」「帰国子女」にとって、海外では英語力をつけることが最重要課題と言えます。しかし、英語力が身につくにつれて日本語力の不十分さが顕著になり、帰国後は習得した英語力が徐々に失われていくことに悩む方も多いようです。
バイリンガルは実際にどのような体験をし、自分の将来につなげていったのでしょうか。長期にわたり海外生活をしたお二人に、お話をうかがいました。

TEMPUR SEALY アジア地域マーケティング統括部長
濱松 幹昌さん

TEMPUR SEALY アジア地域マーケティング統括部長 濱松 幹昌さん

TEMPUR SEALY アジア地域マーケティング統括部長 濱松 幹昌さんの経歴

アメリカの環境に浸りきる

私が海外で過ごしたのは通算20年と、人生の大半を占めています。父の駐在で小学3年生の途中でアメリカへ行き、当初は公立校へ、その後は両親の方針で私立校へ編入しました。私の編入した私立校では、日本人の入学は初めてであり、外国人と言っても一切の特別扱いはありませんでした。公立校に比べ宿題の量もかなり多かったので、補習校もやめて退路を断ち、とことん英語に向き合いました。アメリカの文化と習慣に浸りきった日々で、友人も皆アメリカ人でしたが、家族とは日本語で話す約束をしていました。

アメリカ人として生きられるか

中学に入った頃は、このまま同じ私立校を卒業し、アメリカの大学に進学することが自分にとっては自然な流れだと感じていました。ある日父と今後の進路を話す機会があり、父から「お前は、アメリカ人になれると思うか」と訊かれました。ようやくアメリカに慣れた今、なぜ父はそんなことを聞くのか、と戸惑ったものです。ただ、父の言う通り、アメリカ人に似せて生きても私の国籍は日本です。「日本人であることを無視して生きることは、やはり不自然で難しいことではないか」と考えるに至りました。 そうして、父を米国に残して母と日本へ戻ることを決めたのです。幸い、日本では帰国生が非常に多い私立高校に入学することができました。当時は、同じ帰国生たちからも「お前はアメリカ人だな」と言われるほどでしたが、日本人のルーツを取り戻しに日本に戻ったのだと、今は考えることができます。

一番苦労したのは、日本語の読み書きです。母と祖母にも助けてもらいながら、毎日全ての教科書のわからない漢字を自分で調べ、予習に明け暮れました。「とりあえずやってごらんなさい」と母に励まされ、ひたすら日本語と向き合いました。すると、高校2年の終わりには、 授業に自然とついて行けるようになりました。

大学、就職、そして今の夢

大学はデザインやアートに関心があったことから、日本の芸術系の大学に進学しました。その後はP&Gなどの外資系企業を顧客とするデザイン会社に就職し、 広告代理店を経て、現在はシンガポールを拠点に世界最大の米国の寝具メーカーで、アジア・オセアニア6ヵ国のマーケティングを統括する立場にあります。チームは40名、上司はロンドンベースのイギリス人です。 多国籍の価値観の下で各国のスタッフと関わるこの仕事は、今までの海外生活がなければできなかったことだと思います。

今の夢は、アメリカの大学院でもう一度学ぶことです。就職前に一旦アメリカへの大学院進学に挑戦しましたが、その時は夢を果たせませんでした。幸いにも現在の上司から信頼を得ることができ、仕事を続けながら大学院進学をサポートしてもらえることになりました。まだ私の夢は道半ばですが、常に前を向いて進んでいきたいと思います。

海外生・帰国生の皆さんへ

小学3年の時の渡米でも、高校入学のための帰国でも、「言葉」が私にとって大きな壁として立ちはだかりました。そして、その「言葉」の壁を乗り越えるために、両親はその都度、自分に合った環境を探し、特に学校選択には執心してくれました。精神的に追い込まれることなく、楽観的に日々を過ごせたのは、家族の温かい雰囲気のお陰だったと思います。英語でも日本語でも、同級生と同等の理解ができるようになるまでは2年の歳月がかかりました。皆さんも即結果を出そうと焦らずに、「2年後には何とかなっている」というゆとりを持ちながら取り組んでいただきたいと思います。

もう一言

言葉が出来ない時、得意な絵を描いて友だちを作った。言葉がなくても伝える術はある。

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