海外生・帰国生へのヒント
九州大学大学院薬学府 博士課程2年 毛利 優希 さん「日本人のアイデンティティーを持った国際人へ」

シンガポールへ一家で移住

 私は日本で生まれ、4歳のときに初めて来星しました。小学生のときに一度日本に帰国しましたが、「海外にいながら日本のために生きていける子どもを育てたい」という両親の強い想いから、シンガポールに暮らすことになり、小学生のときに一家で再来星しました。

 ご存知の通り、シンガポールは多民族国家。常にいろいろな人がいて、みなそれぞれ違って当たり前という環境で育ちました。日本だったら他の人と違うことをするとなると、気を遣わなくてはならない局面もあると思いますが、シンガポールで育ったので自信を持ってできると思います。

 「中学校までは日本人学校で教育を受ける」という両親の方針のもとで、母国語である日本語を身につけ、日本の教育を受けることで日本人としてのアイデンティティーを確立しました。1年に1回は帰国していたので、日本という国を遠い存在に感じていませんでしたし、帰国するたびに「自分はこの国で生まれたんだ」と自覚していました。そのおかげで海外に出ても「日本人」だと堂々と言えることをとても誇りに感じています。

中学卒業後、インター校へ入学

 高校からはインター校に通いました。それまで特別な英語教育をしていなかったので、高校の編入試験の準備のためにイギリス人の家庭教師についてもらい、猛勉強をしました。UWCに移ってからもしばらくESLでさらに英語力を磨きました。

 インター校で学んだことで、日本という国を客観的に見つめることができるようになりました。誠実で勤勉、人を思いやるホスピタリティーに富んでいるという日本人ならではの性質は、海外でも賞賛される性質だと実感しています。

メルボルン大学へ進学、そして日本の大学院へ

 ずっとシンガポールで学んできたので、大学か大学院のどちらかは日本で学ぶと決めていました。大学受験の時に日本の大学について調べましたが、理系学部は帰国子女枠がとても少なかったため、入学を断念しました。

 

メルボルン大学時代

 

 オーストラリアのメルボルン大学への進学を決めた理由は、当時自分が興味を持っていた生理学・医薬学などを幅広く履修できるコースがあり、設備や教授陣にも恵まれた学習環境があったからです。インター校でのIBの科目で生物学を学んでいたので、大学入学後も特に苦労することなく授業についていくことができました。

 大学院は、祖母の住む福岡の九州大学大学院に進学し、修士課程を修了し、現在博士課程で学んでいます。改めて日本に住んだことで、これまで以上に日本という国を意識するようになり、日本を好きになりました。

 今後は、日本国内の製薬企業で一度就職し、社会人及び研究者としての研鑽を積みたいです。そして、将来大学の研究員として学生に教える先生になりたいと考えています。

 

ドイツの研究室の学生たちとの交流会にて

 

シンガポールの皆さんへ

 今の日本に求められているのは「日本人としてのアイデンティティーをしっかり持ち、不自由なく使える外国語力を持つ人材」です。その両方の条件を満たす人材を目指すには、日本国内で教育を受けるだけでは難しいと思います。「海外で子どもを育てた方が本当の意味で日本に役に立つ人材を育てることができる」という両親の教育方針のおかげで、私は日本人としてのアイデンティティーも持つことができ、グローバルな視点を持って物事を考えることができるようになりました。多民族国家・シンガポールで育ったからこそ、自分とは異なった文化的背景や宗教観を持つ人でもバリアを感じることなく交流することができ、パスポートさえあれば世界中どこでも生きていける自信があります。

 海外で日本人として育つということはメリットも多いですが、色眼鏡で見られてしまうこともあり、理解してもらえないことも多々あると思います。しかし、せっかく海外で暮らすのですから、海外でしか得られない知識をとことん身につけて、いろいろな経験を積むということが必ず将来につながります。自分の興味があること、知りたいことを納得できるまで追求して、自分の道を切り開いてください。

※九州大学に関する情報はこちら
https://spring-js.com/japan/677/

『海外生の今』バックナンバー
https://spring-js.com/global/global02/kaigaisei/

※本文は2012年9月25日現在の情報です。

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