長年海外でお子さんを育ててこられた方にご登場いただき、これまでのご苦労や貴重な体験談をうかがいます。
皆さんも「海外で子どもを育てるヒント」を見つけてみませんか。
Q : お子さんの進学の経緯を教えて下さい。
長女はローカル幼稚園、日本人学校小学部を経 てカナディアンインターナショナルスクールに進 学しました。次女は学習中心のローカル幼稚園が あわず、早い時期からカナディアンインターナショ ナルスクールに通いはじめました。二人とも卒業 後は、カナダの大学に進学しました。長女は University of Victoria で青少年の発育・教育を専攻 し、ボストンキャリアフォーラムを経て日系企業 に就職しました。次女は University of Toronto に在 学中で心理学と社会学をダブル専攻しています。
英語・中国語を操りながら業務をこなす夫を見 て、娘たちが社会に出るころには、英語でビジネ スをすることは基本だろうと感じていました。英 語環境で教育できたことは、大変良かったと思っ ています。ただ、英語ができるだけでは十分では なく、日本語と英語の両方を用いて、楽しみなが ら社会で活躍できる仕事を見つけてほしいと考え ています。
Q : インター校に通いながら、どのように日本語教育をされましたか。
夫が駐在員のときは、いつ日本に帰国するかわ らない状態でしたが、塾や補習校には行かせず家 庭教師で日本語学習を続けました。漢字や語彙を 詰め込むのではなく、ゆっくりでも日本語を好き になって欲しいと考えていたからです。今思えば、 かなり楽観的でした。 家庭での会話は日本語に徹底し、姉妹の英語の 会話には「今なんて言ったの?」と必ず日本語訳を させていました。継続的な学習や、日本人学校で 学んだ長女が読書の面で次女を後押しするなどし て、高校卒業時には二人とも新聞を読み小説を楽 しむレベルになっていました。カナダの大学に進 学してからは、日本人としての自分を更に認識し、 日本語の本を読む機会を増やし日本語力の向上に 努めたようです。
現在、長女は日本で義母と同居中です。日本人の所作や手紙の書き方を気負わず教えてくれてい るのが心強いと思っています。
Q : お子さんが困難にあったとき、親としてどう支 えましたか。
長女は、インター校に移った直後は楽しんでい ました。高校生のころに生徒数が増えたこともあり、 シンガポール生活が長かった娘はクラスメートと の友人関係で戸惑いを感じたことがあったようで す。「学校に行きたくない」と言い出したので休ませ、 夫の会社で仕事を体験させたことがありました。 製品のラベル貼りを手伝った娘は、自分が学校に 行っている間に親がどんな思いで働いているかを 肌で感じ、気持ちを入れ替えたようです。また学 校に通うようになりました。 子どもなりに壁にあたった際は、やみくもに無 理強いするのではなく、親として穏やかな心で受 け入れてあげることも必要だと思います。大きな 心で見守れば、子どもが自ら解決法を導きだすこ ともあると感じます。
Q : 海外での子育て中に大切にしていたことは何で すか。
「子どもは思い通りにならないもの、待つことも 親の大切な役目である」という気持ちで子育てを していました。親が頭ごなしに反対すれば、後で わだかまりが残るものです。子どもの意思を尊重し、 失敗してもそれはそれで貴重な経験、と受け取る 寛容さも大切だと考えました。
私が心を打たれた言葉があります。 「小学生のうちはつめこむのではなく遊びの大 切さを忘れないように」とは、お世話になったイ ギリス人の家庭教師の言葉です。楽しみながら身 につけていくコミュニケーション、遊びを通した 学習こそがその年齢には必要だということを再認 識しました。
「留年もうちの子のためだから」とさらりと言っ たのはインター校のお母さんでした。インター校 ではどの学年でも留年することがあり、彼女のお 子さんもまさに留年が決まったところでした。外 聞を気にするのではなく、自分の子どもの尺度で 見る大切さに改めて気づかされました。 「勉強は覚えるものでなくて、理解するものだと 知った」とはインター校に編入したばかりの日本 人のお子さんの言葉です。まだ慣れない英語で勉 強しながらも、学校生活が楽しいと目を輝かせて いました。「学びの原点」を教えてくれた、非常に重みのある言葉でした。
太田さんから一言
反抗期には生活態度のことでとっくみあいの親子げんかもありました。お箸のもち方や食べ方など、親以外の人は決して注意してくれないようことは、本人のためと信じて特に厳格に躾をしまし た。しかし、全てにおいて厳しさを求めることが良い教育とは思いません。本人が自分で気づくこ とを気長に待ち、長い目で見守ってあげることも親として大切な役目ではないでしょうか。