日本からシンガポールへ
私は小学校4年生の時にシンガポールに移りました。小学校卒業の時点で日本に帰国することがわかっていたので、はじめからすべてを「楽しもう」と思っていました。現地での学校は日本人学校を選んだので、日本で通っていた学校との共通点も多く安心できる心地良い場所で、すぐに慣れました。
普段の生活の中では、積極的に異文化に触れるように努めていました。学校の夏休みには「バティック(インドネシアの伝統的な紋様染)」を体験し、作品を宿題として提出しました。色が鮮やかでとても素晴らしいとほめられたことは嬉しく良い思い出となっています。
クレメンティ校の行事で一番の思い出は、「クレッ子コンサート」です。合奏では初めてアコーディオンに挑戦し、今でも感覚が残っているほど印象に残っています。合唱では学年全体が2部に分かれて大きな声で歌いました。きれいなハーモニーとなり、大きな拍手に包まれました。あの感動は、忘れることができません。
苦労した「英語」、今では強みに
英語は大文字も小文字もわからない状態でシンガポールに行ったので、当初はとても苦労をしました。家庭教師の先生についてもらい、毎日勉強し少しずつ慣れていきました。「6年生までに英検3級を取得する」という目標を立て、毎日CDを聴くことを心がけました。そのおかげでリスニングはとても得意になり、大きな自信になりました。また、マレーシア人のコーチからテニスを習っていたので、テニスを通して楽しみながら自然に英語に触れることもできました。
現在の英語力があるのは、当時の学習の成果だと感じています。はじめは苦労しましたが、今では英語が私の「強み」になっています。帰国後も英語力が衰えないように、なるべく英語に触れるようにし、引き続き英語のCDを聴くなど努力をしています。
シンガポール日本人学校時代
和太鼓を通して日本文化を広げる
いざ、帰国へ
桐朋は保護者の駐在による途中の退学者が帰国する際の受け入れ体制が整備されていたので、帰国したら桐朋女子へとずっと思っていました。そして、中学に入学するタイミングでの帰国となりました。桐朋小学校は、出発前から帰国生の受け入れについても詳しく説明してくれましたし、シンガポールに出発する時に見送ってくれた先生方や友だちが待っていてくれる学校へ戻れると思うと、安心感がありました。
シンガポールでできた友だちは、兄弟姉妹みたいな感覚で強い「絆」を感じています。今もLINEで連絡を取るなどして繋がっており、とても身近な存在です。
現在の学校生活はとても充実しています。シンガポールをはじめ世界各国から集まる帰国生からいろいろな刺激を受けています。好きな教科は数学です。2人の先生がわかりやすい授業で丁寧に教えてくれるので好きになりました。将来の夢はまだ決まっていませんが、桐朋生活でたくさんのことに挑戦して本当の自分を見つけ、自分に合った道を探していきたいと思っています。
海外で生活している皆さんへのメッセージ
私は日本を離れシンガポールという地でさまざまな人と出会えたことで、どんな人ともためらうことなく打ち解けられる「コミュニケーション能力」が育めたと思っています。海外で出会った友だちとは、楽しいことだけでなく大変なことも互いに励まし合ってやり遂げることができる強い絆を感じます。これは大きな自信にも繋がっているので、皆さんもたくさんの友だちを作り、どんなことにでもチャレンジしてみてください。帰国後はその経験が大いに生かされることと思います。
お母さまより
日本を離れる時は皆、寂しさと不安でいっぱいになりますが、いざ現地での生活が始まると子どもは新しい生活環境にもすぐに適応することができ、非常にたくましいと感じます。海外にいる時は、異文化はもちろん日本の文化にも直接触れる機会があり、世界が格段に広がります。外国人とも積極的に交流しながら、ぜひご家族皆さんで貴重な体験をたくさんしてください。
※桐朋女子中学校・高等学校に関する情報はこちら
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『海外生の今』バックナンバー
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