海外母子留学や早期外国語教育も大きな注目を浴びている中、「英語力の強化」はお子さまを国際人として育てていくための最重要課題と考える方も少なくありません。
Springでは前回に続き、母語と英語を両立した「バイリンガル」の子育てについて、立命館大学大学院で第二言語習得論を研究する田浦秀幸教授にお話をうかがいました。
田浦 秀幸 教授
立命館大学・大学院 言語教育情報研究科 田浦 秀幸 教授
シドニー・マッコリー大学で博士号(言語学)取得。大阪府立高校および千里国際学園で英語教諭を務めた後、福井医科大学、大阪府立大学などを経て現職。 バイリンガルや日本人英語学習者を対象に言語習得・喪失に関する基礎研究に従事。その研究成果を英語教育現場に還元する応用研究も行っている。著書に「バイリンガリズム入門」など。パートナーはオーストラリア人、二言語環境での子育ての大変さを痛感した父親でもある。
「バイリンガル」の定義とは
皆さんは、「バイリンガル」と聞くとどのようなイメージを持たれるでしょうか。日本人でありながら、流暢な外国語を話す子どもの姿でしょうか。実はバイリンガルに対する明確な定義は未だにありません。仮にバイリンガルを「第二言語や外国語を、母語と等しい高いレベルで使うことができる」と定義した場合、該当するのは世界中のバイリンガルの人たちの1%にも満たないでしょう。
日本人の中でも外国語を使う人は大勢います。勤務先や学校が海外である場合はもちろん、日々の生活で外国語を使用する機会はますます増えていることでしょう。しかしそのような方々が帰国をすれば、時間の経過とともに流暢に使っていた外国語のレベルが落ちていくのは、実に自然なことです。
つまり「バイリンガル」とは、一度身についた力が定着する「静的」なものではなく、常に維持するために努力をしなければ変わってしまう「動的」なものなのです。
本当は怖い「セミリンガル」
最近は、個人でも学校現場においても、早期英語教育が叫ばれています。海外移住されるご家庭の中には、お子さまを幼いうちにインター校あるいはローカル校に通わせることが「バイリンガル」教育に直結すると考える方も多いでしょう。子どもの言語発達は下図のように、主なプロセスを経ます。
そんな中、例えば日本語を母語とするお子さまが5歳の時、海外移住に伴い急激な言語環境の変化に直面したらどうなるでしょうか。せっかくすくすくと育っていた母語の成長に急ブレーキがかかり、新しく入ってきた外国語での言語習得過程を0からやり直すことになります。これは非常に大変な作業です。新しい言語での日常会話力の習得には通常約2年を要すると言われており、5歳のお子さまが英語で意思疎通を図れるようになるのはおそらく7歳頃でしょう。現地の他の子どもたちからは、すでにこの時点で遅れをとっていることになります。更に数年の海外滞在任期が終わり日本に本帰国すると、今度は日本語の発達が年齢相当レベルに達していないという状態に陥ります。
このように、どちらの言語も年齢相当のレベルに達していない状態を「セミリンガル」と言います。せっかくインター校・ローカル校に入っても、会話は2言語でできるけれども学習言語がどの言語でも齢相応に達していない「セミリンガル」になってしまっては、その後の人生に大きな影響を与えてしまいます。
「バイリンガル」は早期に外国語に触れることでなれるものではなく、どちらか一方の言語で年相応の理解力を持っていることが不可欠です。もしセミリンガルの時期が3年、4年と続くようであれば、どちらか一方の言語を諦める必要があるかもしれません。
子どもが習得するのは「言語」だけではない
多文化の中で生活をしている子どもが吸収するのは「言語」だけではありません。バイカルチャーという現象も同時進行で起こります。「牛」、「草」、「鶏」という3つの単語を思い浮かべてみてください。その中で、どの2つの単語の結びつきが最も強いと思いますか。
牛と鶏を動物というカテゴリーでくくり、草が仲間はずれだという方もいれば、草を食べるのは牛であるという関係性に紐付け、鶏が仲間はずれだという方もいるでしょう。そこで我々は異なる3つの単語の組み合わせを100パターンほど作り、さまざまなバックグラウンドを持つ人々を対象に研究を行ってみました。すると面白いことに、アジア系の人たちは「牛は草を食べるので鶏が仲間はずれ」という相関性に重きを置く人が多い一方、欧米系の人たちは「牛と鶏は動物なので草が仲間はずれ」という範疇性で判断する傾向にあることが脳賦活(のうふかつ)データから判明しました。育った文化によって、物事の考え方にはっきりとした違いが現れたのです。これはまさに、「ものの見方」「考え方」には文化的な特性の違いがあるということを、示しています。
そしてこのテストを、両親は日本人だけれども英語圏で暮らしていた帰国子女の子どもたちにも受けてもらいました。結果は関連性判断でもなく範疇性判断でもなく、ちょうど真ん中、つまり「ハイブリッド」でした。多文化の環境で育った子どもたちは、「日本人といるときは日本人の自分、シンガポール人といるときはシンガポール人の自分」というよう自動的に思考の切り替えができるのもこのためです。認知的な異文化理解に留まらず、認知・行動・心情すべての面において異文化を習得しているのです。これは多角的な視点で物ごとを見ることができるという大きな財産になります。
子どもたちだって苦労している
海外で暮らしていると、どうしても言語習得にばかり注意がいってしまいがちですが、まずはお子さま自身が並々ならぬ努力をされているということを理解してあげてください。幼少期を海外で過ごした私自身の子どもたちは30歳近いですが、昨年になってようやく「小学校の頃いじめに遭っていて本当に辛かった」という過去の話をしてくれました。当時すでに教鞭を執っていた身としては衝撃を受け、子どもたちの辛い経験に気がつけなかったことを謝りました。
また、かつて私の教え子であったアメリカからの帰国子女には、現地のローカル中学校の水泳部で活躍していた生徒がいました。水泳部に入った理由を尋ねると「顔が水で濡れるので、アメリカでの生活が辛くて泣いても両親に分からないと思ったから」と返答されました。予想外の答えを聞いた私は、ショックを受けました。異国の土地で暮らしていると、子どももそれに馴染もうと必死に努力しているのです。子どもの方から明示的にご両親に辛さを言葉として表現することがなくても、きっと胸の内に感じているものはたくさんあるはずです。ですので算数や漢字の勉強が少々はかどらなくても、責めることなくまずは話を聞いてあげてください。
海外在住の子どもたちは、幼少期から多文化に触れることで非常に多角的な視点を持っているという強みがあります。何か不得意なことがあっても、そのような視点を持ち合わせているお子さまは素晴らしいのだ、と親が自信を持っていると、子育ての気持ちにも余裕が持てるでしょう。
保護者の皆さまへ
海外生活が始まると、特にお子さまの年齢が小さい場合は、母語である日本語のイントネーションが不自然になったり、出国前は使えていた日本語が口をつかなくなったりすることがよくあります。
バイリンガルの要となるのは、「年齢相当の認知力を少なくとも1言語で発揮できるかどうか」です。日常会話力と年齢相応の学習言語力とは全く別物です。そのためご家庭においては日本語維持のために、日本人・日本語のコミュニティーをしっかりと活用したり、日本固有の文化行事を体験させてあげたりすることも大事です。「海外で成長する」という特別な生育過程でこそ得られる力が、お子さまには必ずあると信じて、それぞれのご家庭の海外生活がより良いものとなるよう応援しています。
●田浦教授による過去のバイリンガル教育記事はこちらから●
https://spring-js.com/global/5418/
◆Springの過去の関連記事も合わせてご参照ください。
バイリンガル教育
https://www.spring-js.com/global/?category=81
◆海外子育て体験記