シンガポールでは日本の学校、日本では米国大で学ぶ
テンプル大学ジャパンキャンパス 2年 田村 音恩さん
06~12歳(小1~6) シンガポール日本人学校小学部チャンギ校
12~15歳(中1~3) シンガポール日本人学校中学部
15~18歳(高1~3) 早稲田渋谷シンガポール校
海外在住歴
シンガポール
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日本
12年間過ごしたシンガポール
シンガポールには小学1年の夏に引っ越しました。親の仕事のために始まった海外生活は、一歩外に出れば日本語が通じない異文化の世界で、6歳の私にとって衝撃的な体験でした。しかし、日本語環境である日本人学校と同級生に助けられ、徐々に生活に馴染むことができました。
同校小学部では、きめ細やかな英語イマージョン教育が実施されていました。小学卒業までに英検2級取得を目標に掲げ、学外でも英会話の先生に週2回習いました。高校では大学の出願に必要なTOEFLスコアを目指し、早朝に登校して毎日25単語を覚え過去問を解き、地道に英語力強化に努めました。
12年間という長期に渡り海外でも日本語で学べたことは、思考力を深める上でプラスだったと感じています。しかし、理科や生物などの科目では「日本の季節・気候」に関連した内容が多く、常夏の地ではなかなか想像しにくく苦労することもありました。自分を取り巻く環境も含めて、五感で理解することの大切さを知りました。
表現としての「美術」の魅力
私にとって、表現力を磨き視点を広げる上で「美術」は重要な要素でした。日本人学校中学部の二人の先生のおかげで、「美術」は私の学校生活の支えになりました。一人目の先生は版画を専門に当地で個展を開くほどの実力者です。先生の作品と授業から「思うままに表現して良い」という「美術」の楽しさ、クリエイティブになる素晴らしさを学びました。二人目はオーストラリア出身の先生です。その先生から、アボリジニーの表現方法である伝統的な点描写などの技法を学び、新しい視点や「美術」の幅が広がりました。中学時代に出会った「美術」という表現方法が、後の大学専攻へとつながっていったと感じています。
テンプル大学への進学
テンプル大学ジャパンキャンパスは、「英語力をさらに伸ばしたい」そして「長く離れていた日本に住みたい」という私の希望をかなえてくれる理想の進学先でした。
入学後に驚いたことは、世界各国からの学生が集まり真に国際的な大学であることです。勉強は非常にハードですが、教授は日本人学生の特性を熟知し自信を持って発言できるように促してくれます。米国のフィラデルフィア本校に留学するチャンスもあるため、米国での学びにも挑戦したいと考えています。
現在は、コミュニケーション学科を専攻し、ジャーナリズム、映像制作、メディアなど報道からポップカルチャー、映像から文章まで、コミュニケーションを広く学んでいます。また、アートを副専攻として選び、特に写真を中心に修得しています。ヒギンズ教授による「アメリカ映画における人種と民族性(Race & Ethnicity in American Cinema)」というジェネラル・エジュケーション(一般教養)の講義では、映画における差別や人種の過小評価を歴史的背景から分析し、アジア人としても新たな視点を養うことができました。
海外で暮らす皆さんへのメッセージ
シンガポールの二つの貴重な体験をご紹介します。まずは、小学2年の時に「親友」と呼べる友人に出会えたことです。彼は編入したばかりの頃、皆の前で突然泣き出しました。私も同じように涙を流したことがあったため共感し、それ以来、何でも話し合える友として次第に友情を深めていきました。皆さんも、海外で助け合える生涯の友人を見つけられることを願っています。
次に、小学生の時に初めて日本人差別を受けたことです。インド系の子どもから唐突に暴言を吐かれたため、当時は腑におちませんでした。しかし、シンガポールにおける日本軍の歴史を学んだ今の私なら、理解ができます。辛い歴史的背景があるにも関わらず、日本人である私たちが安全にシンガポールで生活できていることに、シンガポール人の心の広さを知り感謝しています。皆さんもぜひ、現在暮らしている土地の歴史や文化を理解し、そこに根ざす習慣や価値観を経験してみてください。そうすることで新たな発見があるに違いありません。
海外では、当地の食文化に触れることをおすすめします。嗅覚と味覚は五感の中でも特に記憶に残りやすいため、何か一つ自分が好きな味を見つけてみましょう。私が好きな料理はラクサで、あのココナッツの甘さとスパイシーなスープのハーモニーがたまりません。今でも匂いを学だけで、当時の気持ちが蘇り、初心に帰る思いがします。
2024年6月25日現在の情報です。最新情報は直接お問い合わせください。