「夢中」になれる何かに出会って欲しい
地球を相手に夢中になって遊びたい
「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」という、母校北海道大学初代学長クラーク博士の有名な言葉があります。その言葉通り、私は80半ばになった現在もなお、スキーと登山に大志を抱いています。スキーで世界最速の記録を出したのは30代。その後、70歳、75歳、80歳とエベレスト登頂で世界最高年齢記録を更新してきました。世間では「数々の偉業を成し遂げた偉大なアスリート」だと言われましたが、私の中では、「挑戦する心」を持ち続けた結果に過ぎません。ここ数年は心臓手術や大腿骨骨折などを経験しましたが、85歳になる来年は、世界6番目に高い標高8,201mのチョ・オユー山頂からスキー滑降に挑みます。
「夢」は大きい方が良いのです。そして、世界は広い。ある人は学問や他の道に無限の世界を見出すでしょうが、私は世界の広さを自然の中で感じ「地球を相手に夢中になって遊びたい」、そう思い続けています。
不登校、ひきこもりの大先輩
子ども時代は結核性腹膜炎を患い、小学校も日数の半分ほどしか通いませんでした。長い入院生活の中、父が「病気が良くなったら蔵王に連れて行ってやる」とかけてくれた言葉が、自信を失っていた私の気持ちを明るくしてくれました。
父・敬三は当時、宮城県でスキー連盟の初代会長を務めながら、東北大学の山岳部のコーチをしていました。父と共に憧れの山に行く自分を想像すると、弱かった体の奥底からエネルギーが湧き、「病気になんかなっていられない」と心から思ったのです。ようやく回復した時、父は本当に蔵王に連れて行ってくれました。 劣等感の塊だった私が、あのキラキラした樹氷の素晴らしい世界でスキーを滑り、気持ちが一回り大きくなったことを、今でもはっきり覚えています。辛く苦しい気持ちを持つ子どもは、その気持ちをうまく言葉で表現することができません。しかし、大自然の中でスポーツに挑戦したことは、学校という世界がいかにちっぽけなものかを教えてくれ、辛い気持ちから抜け出させてくれました 。
ところが、岩手県に引っ越し、また心が折れるような経験をしました。新しい学校では学習の進度も違い勉強についていけず、中学の入試では不合格となり、入学できませんでした。当時、 父親が自治体の要職についており、しかも住んでいたのは地元のエリートたちのいる官舎でした。外に行きたくても面目が立たず、2週間くらいの間、食事をしては押し入れに潜んで本を読む日々を過ごしました。まさに私自身が不登校、ひきこもりだったのです。
悶々としている私に、肝の据わった母は、「失敗した方が偉くなる。むしろ不合格で良かったのだ」と、言い放ちました。母方の祖父は国会議員だったこともあり、「一年が何だ。議員さんは一回落選したら4年間も浪人生活になるのだから」とも話してくれました。「あの偉いおじいさんでも、そういう時があったのか」と思い、随分とホッとしました。後に、中学不合格の理由は成績ではなく、小学校の登校日数の不足だと知りましたが、いずれにせよ、母の言葉をきっかけに私の心は救われ、前向きになりました。中学に行けなかった1年間で体を鍛え、小学校の手伝いをしたり山小屋を作ったりと自由に過ごし、学校とは違った形で自分を成長させることができたのです。
現在、私は高校の校長をしていますが、ここには中学時代に不登校だった子もいます。「スタートでつまずく」という意味では私自身が大先輩なので、皆さんの気持ちが大変良く理解できます。そこから抜け出すには、きっかけ作りが必要です。私の場合は両親の言葉、そしてスキーや登山などのスポーツでしたが、本校では一人ひとりの興味や得意な部分に注目してきっかけを提供することで、どの生徒にも自分らしい挑戦を続ける人生を歩んで欲しいと願っています。
なぜ、山に登るのか
「心」と「体」がタフであること、それは私の一生の命題です。小学校で大病をしたことや、登山で自然と対峙していることで、強靭な心身がいかに重要であるかを思い知っているからです。現在でも週に2~3回、20キロの重りを背負い、週に1回は片足5キロずつの重りをつけて歩いています。標高8,000mになると、酸素量は通常の3分の1になり、大人でも1分もすれば気を失ってしまうほどです。その過酷な環境に備え、低酸素室を利用して心肺機能も慣らしています。
なぜそんなに辛い思いをしてまで、登山をするのでしょうか。山頂に着いた時の感動、そこで眼前に広がる素晴らしい世界は言うまでもありません。しかし、一番の理由は「登山」に魅せられているからです。何かに夢中になるということは、その人をどこまでも強く、大きく成長させるものなのです。
最高峰に挑む時には、「今度こそ帰って来られないかもしれない」という、恐れと覚悟があります。登山では山頂を目指して登るよりも、下山する行程の方が辛いことをご存知でしょうか。その厳しさは、「今持っているこの綱を放して死んだ方が楽だ」と思う程です。実際に、遭難の8割は下山の時に起こっています。だからこそ、ついに下山を果たした時の「とうとうやり遂げた」という感動は、何物にも代えがたいのです。
2013年 エベレスト登頂時
小さな成功体験が大きな成功につながる
人生の成功は、遊びでもスポーツでも仕事でも、自分が「これに賭けよう」と夢中になれることがあるかどうかにかかっています。 実現不可能な「夢」だと思えることでも、小さな成功体験を重ねていけば、たいていのことは達成できるということを、私はこれまで体現してきました。登山で言うなら、私もかつて、まず500mの山に登りその後1,000m、2,000mと徐々にレベルを上げていったのです。そうすることでついには、8,000m級の山の登頂につながりました。
本校の入学式でも、私は必ず子どもたちに目標を立てる大切さを話しています。資格を取る、医者になるなど何でも良いので、具体的な目標を持ち、自分を奮い立たせることです。実際に、本校の野球部が創部3年で初の甲子園出場を実現した時も、小さな目標を一つずつ達成させた過程がありました。当初は部員が7人しかいないところから、キャッチボールができる友を誘い、やっとチームが結成できたのです。そして、廃校になった中学校を改装して野球部寮を作るなど、少しずつ 練習環境を整えていきました。創部3年でのこの快挙は、改めて、小さな目標を達成し続ける大切さを示していると言えるでしょう。
海外で暮らすご家族へ
子育て中の親御さんは、学校選びや教育について、日々考えることが多いと思います。私は、子育てにおいて重要なのは「教育」そのものではなく、いかにお子さんにやる気を出させるかだと考えています。大志を抱くも抱かぬも「本人がやるか、やらないか」なのですから。日本人で海外生活をするチャンスに恵まれるのは、ほんの数パーセントです。この得難いチャンスを最高に楽しみ、今置かれている状況の中でベストを尽くすことができるように、応援しています。
海外生活では特に、 現地の友だちができるような機会を作ってあげてください。私が最高峰に挑むときは、現地のシェルパと共に挑戦します。命がけの挑戦で彼らに命を預けるようなものですから、信頼関係が大切なことは言うまでもありません。そのため、言葉も文化も異なるシェルパとは、まず食事に行くなどして人間同士の付き合いを深めます。決して上から目線ではいけません。登山を共にする次男は、この信頼関係を築く点で非常に長けており、面白いことをしてはシェルパを喜ばせ笑わせています。これは、皆さんの海外での友だち作りのヒントになるはずです。まず、一緒に美味しいものを食べ、歌を歌い、遊んだりして兄弟のように振る舞いましょう。 友情を育む秘訣は、最終的には言葉ができるかどうかではなく、むしろ「一緒に笑い合えるかどうか」なのですから。
※2017年9月25日現在の情報です。最新情報は各機関に直接ご確認ください。